2011年9月28日水曜日

レッド・ドラゴン

人食いを食う男。

レッド・ドラゴン('02)
監督:ブレット・ラトナー
出演:アンソニー・ホプキンス、エドワード・ノートン



女性を殺して皮膚を剥ぐバッファロー・ビル(『羊たちの沈黙』)。顔を破壊された復讐に、おぞましくも面倒な殺害計画を企てるメイスン・ヴァージャー(『ハンニバル』)。いずれもインパクトを残す残虐なキャラクターのはずだが、シリーズの中心たる御仁には存在感を食われっぱなしだった。
本作の殺人鬼レッド・ドラゴンは、一家殺害という犯行は残忍にしても、グロテスク度においては前二者にやや劣る。だが、その存在感は御仁に劣らない、もしくはそれ以上だった。

『羊たちの沈黙』のように、レクター博士は監房からすべてを操る。かつて自分を逮捕した捜査官グレアムに、殺人鬼のプロファイルを依頼され、ヒントを送る。
その一方で、密かに殺人鬼とコンタクトをとり、グレアム殺害の指示を送る。世間を騒がせる凄惨な事件も、御仁にかかっては、追うものと追われるものに知恵をつけて高みの見物という一種の娯楽。グレアム殺害指示さえ、自分を逮捕した復讐という感覚はなく、監房でディナーのセッティングをしてくれたシェフを一瞬ビビらせるのと同じ、レクター流「お茶目」のようである。事の顛末を思えば、ずいぶん猟奇的なお茶目もあったもんだが。

助言を求めてレクターの監房を訪ねるのは、元捜査官のウィル・グレアム。レクター博士の殺人を見抜き、傷を負わされながら逮捕に至ったものの、その後FBIを辞めていた。しかし、元上司のクロフォードの要請で、2件の一家惨殺事件の調査に乗り出す。レクターと対峙するシーンの緊迫感が『羊たちの沈黙』ほどではないのは、カメラワークのせいか、はたまたクラリスに比べると幾分「レクター慣れ」しているせいか。
レクター博士はグレアムに、「なぜ君は私を逮捕できたか分かるか?」と尋ねる。その答えは、グレアムを優れたプロファイラーたらしめるものであり、実はグレアムが非常に危うい存在であることの表れでもある。

そして、御仁を食う勢いの存在感を見せつけた、レッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイド。
小説の映画化に当たって、大部分を省かざるを得ないのが、ダラハイドの幼少期である。彼のトラウマがレッド・ドラゴンを生み出すベースになるという重要なポイントなのだが、それを事細かに描くのは無理がある。
そのためにレイフ・ファインズが起用されたのではと思う。次に目をつけている一家の映像を見つめるときも、いけ好かない新聞記者を始末するときも、常に目元は哀しい。レイフの目の色は澄んだ青なのに、深い陰があるように見える。トラウマを刻みこまれたと分かる目元であり、レクターとはまた違った、人を惹きつける目である。そのため、残酷な殺人犯と分かっていても、完全なる怪物として見ることができないのだ。
トラウマと殺人計画のために交流を避けてきたダラハイドの心に唯一近づいたのが、盲目の女性リーバ。レクターがクラリスに出会う前のこの物語では、ラブストーリーの中核にいるのはレッド・ドラゴンと、ダラハイドにとっての太陽を纏う女だった。

ストーリーの流れはおおむね原作に忠実で、改変したポイントもそう悪くない。ダラハイドの過去がカットされている点を除けば、ここぞというポイントは映像化してくれている。音楽がいかにも緊張感を煽るようで少々気に障るところがあるものの、俳優たちのやりとり/ぶつかり合いは興味深い。監督は、いっそ主要キャスト1人1人が関わり合いになるシーンを撮りたい……! という欲求にかられなかったのだろうか?

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