2011年9月30日金曜日

チェンジリング

あなたなら、どう生きるか。

チェンジリング('08)
監督:クリント・イーストウッド
出演:アンジェリーナ・ジョリー、ジョン・マルコヴィッチ



事実は小説より残酷で悲しい。それでも事実を生き抜いた人がいることを、イーストウッドは観客に知らせる。そして、「あなただったら……?」と、壮大な問いかけを投げる。

1928年のロサンゼルス。電話交換手として働くクリスティンの息子、ウォルターが失踪する。5ヵ月後、ようやく息子が見つかったとの知らせが警察から届く。喜んで駆けつけたクリスティンだが、そこにいた「息子」はまったくの別人だった。人違いを訴えるものの、警察はこの少年が彼女の息子と主張して譲らず、逆にクリスティンを異常者扱いし精神病院へ閉じこめる。しかし彼女は、警察の不正摘発に熱心なブリーグレブ牧師の手を借りて、警察のずさんな捜査体制を訴えに出る。

悪徳警官や権力者の横暴は、これまでも映画でさんざん描かれてきたが、ここではおおむね事実であるだけに恐ろしい。逆に、クリスティンの母親愛と芯の強さは、事実であるだけに痛ましくも素晴らしい。
クリスティンと警察との戦いだけを見れば、弱い立場の一市民が権力に立ち向かっていくドラマだ。しかし、ウォルター失踪事件には、世間を震撼させるもう1つのおぞましい事件が関わっていることが分かるため、権力をやっつける痛快さはない。たとえ進展があっても、一応の解決があっても、そこには常に冷たく重たい事実が影を落としている。
ただし、イーストウッドは最後にひとすじの光を残した。それは決して安易なハッピーエンドではないし、極めて不確かなものだ。それでも、クリスティンにとっては確かなものであり、それがあったからこそ彼女は生き続けたのだろう。

アメリカの歴史には、本作で描かれている事件のような闇がある。それでいて、闇に光を当てる本作のような映画を認め、大々的に公開する懐の深さもある。
イーストウッドは、祖国の懐の深さと暗い歴史の間で絶妙なバランスをとりながら、深い人間ドラマを描くことに秀でた監督である。

2011年9月28日水曜日

レッド・ドラゴン

人食いを食う男。

レッド・ドラゴン('02)
監督:ブレット・ラトナー
出演:アンソニー・ホプキンス、エドワード・ノートン



女性を殺して皮膚を剥ぐバッファロー・ビル(『羊たちの沈黙』)。顔を破壊された復讐に、おぞましくも面倒な殺害計画を企てるメイスン・ヴァージャー(『ハンニバル』)。いずれもインパクトを残す残虐なキャラクターのはずだが、シリーズの中心たる御仁には存在感を食われっぱなしだった。
本作の殺人鬼レッド・ドラゴンは、一家殺害という犯行は残忍にしても、グロテスク度においては前二者にやや劣る。だが、その存在感は御仁に劣らない、もしくはそれ以上だった。

『羊たちの沈黙』のように、レクター博士は監房からすべてを操る。かつて自分を逮捕した捜査官グレアムに、殺人鬼のプロファイルを依頼され、ヒントを送る。その一方で、密かに殺人鬼とコンタクトをとり、グレアム殺害の指示を送る。世間を騒がせる凄惨な事件も、御仁にかかっては、追うものと追われるものに知恵をつけて高みの見物という一種の娯楽。グレアム殺害指示さえ、自分を逮捕した復讐という感覚はなく、監房でディナーのセッティングをしてくれたシェフを一瞬ビビらせるのと同じ、レクター流「お茶目」のようである。事の顛末を思えば、ずいぶん猟奇的なお茶目もあったもんだが。

助言を求めてレクターの監房を訪ねるのは、元捜査官のウィル・グレアム。レクター博士の殺人を見抜き、傷を負わされながら逮捕に至ったものの、その後FBIを辞めていた。しかし、元上司のクロフォードの要請で、2件の一家惨殺事件の調査に乗り出す。レクターと対峙するシーンの緊迫感が『羊たちの沈黙』ほどではないのは、カメラワークのせいか、はたまたクラリスに比べると幾分「レクター慣れ」しているせいか。
レクター博士はグレアムに、「なぜ君は私を逮捕できたか分かるか?」と尋ねる。その答えは、グレアムを優れたプロファイラーたらしめるものであり、実はグレアムが非常に危うい存在であることの表れでもある。

そして、御仁を食う勢いの存在感を見せつけた、レッド・ドラゴンことフランシス・ダラハイド。
小説の映画化に当たって、大部分を省かざるを得ないのが、ダラハイドの幼少期である。彼のトラウマがレッド・ドラゴンを生み出すベースになるという重要なポイントなのだが、それを事細かに描くのは無理がある。
そのためにレイフ・ファインズが起用されたのではと思う。次に目をつけている一家の映像を見つめるときも、いけ好かない新聞記者を始末するときも、常に目元は哀しい。レイフの目の色は澄んだ青なのに、深い陰があるように見える。トラウマを刻みこまれたと分かる目元であり、レクターとはまた違った、人を惹きつける目である。そのため、残酷な殺人犯と分かっていても、完全なる怪物として見ることができないのだ。
トラウマと殺人計画のために交流を避けてきたダラハイドの心に唯一近づいたのが、盲目の女性リーバ。レクターがクラリスに出会う前のこの物語では、ラブストーリーの中核にいるのはレッド・ドラゴンと、ダラハイドにとっての太陽を纏う女だった。

ストーリーの流れはおおむね原作に忠実で、改変したポイントもそう悪くない。ダラハイドの過去がカットされている点を除けば、ここぞというポイントは映像化してくれている。音楽がいかにも緊張感を煽るようで少々気に障るところがあるものの、俳優たちのやりとり/ぶつかり合いは興味深い。監督は、いっそ主要キャスト1人1人が関わり合いになるシーンを撮りたい……! という欲求にかられなかったのだろうか?

2011年9月24日土曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第10話



あなたもコントに出ませんか?
夫(マイケル)と一緒に朝飯を食い、コートを着せてあげ、ついでに髪を整えてあげる。一連の動きがあまりにもおばちゃんとして自然体なテリーJは、コント出演を渋る夫の背中を押してあげるところといい、ある意味理想的な妻?

間違えた銀行強盗
意図せずしてお茶目な強盗(ジョン)なんだから、ブルマーぐらいくれてやりなよ。

お寒い番組司会者
うっかり「私を古いモホだちと思って…」と口走ったり、後に再登場したときはマッチョ男写真集を見ていたり。オープンゲイであるグレアムの自虐ネタか?

アーサー・ツリー
出演者全員が木(またはプラスチック版)で、しかも口だけがついていて喋る。スタジオ美術と技術の偉大なるムダ使い。

職業カウンセラー
株屋と並ぶ、パイソンズ的「退屈で面白味のない職業」は、公認会計士。街頭インタビューネタに利用される二大職業でもある。面白味のありすぎるマイケルは、なぜか気弱な公認会計士役が似合う。

ドーバー海峡をジャンプする男
無茶な企画に駆り出されながら、意気揚々と破滅へ突っ走る男ロン(テリーJ)。ここまでアホだと、悲惨な人生も充実して見えるんじゃないだろうか。
無茶企画の考案者として、イタリアン・マフィア風の男ルイジ・ヴェルコッティ(マイケル)が、第8話に続き再登場。

ペット・ショップ
ここに登場する店員は、「死んだオウム」の店員とほぼ同一人物じゃなかろうか。マイケルだし。やってることは「死んだオウム」の店員よりヒドいけど。

ゴリラの図書館司書インタビュー
ゴリラの中身(声)はエリック。中身エリックのゴリラなら採用してもよさそうに思えるけど、喋り出したら止まらなさそうだしな。

深夜の訪問者
なぜか異常にモテるテリーJ奥様。無理があるように見えても、テリーJのペッパー・ポットを見慣れるとだんだん女装に違和感を感じなくなる。うっかりすると可愛らしくさえ見える。
一方、アホのつくお人よしでいかにも退屈な男だけど、ある程度の下心とズルさは持っているマイケルの旦那。先の「あなたもコントに出ませんか」スケッチといい、この2人は結構いい夫婦かもしれない。

2011年9月23日金曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第9話



ラマ
偽スペイン人たちがフラメンコ風に教える偽ラマ情報。多少真実が含まれていたとしてもアホな情報のみ。試験に出しても試験対策にしてもいけない。

鼻にテープレコーダーが入った男
鼻から国家(ラ・マルセイエーズ)が流れるという不謹慎さを取っ払えば、単にマイケルが(後にはグレアムも一緒に)鼻に人差し指をさしているだけ。しょうもない場面を知性で引き伸ばすパイソンズの技。

乱視のキリマンジャロ登山隊
素人が単独で富士山に挑むのと、この登山隊に参加するのとでは、どちらが危険だろうか。

百科事典をセールスする神父
パイソンズ流・ヤな奴と権力者同時潰し定理=セールスマン+神父÷色欲。

散髪恐怖症の床屋さん~ランバージャック
散髪を恐れるあまり殺人衝動まで抱える床屋。ティム・バートン映画で有名になった殺人理髪師スウィーニー・トッドのパロディ?
と思ったら、「本当は木こり(=ランバージャック)になりたかった」という床屋さんの一言から、スケッチの流れは一転。森林警官隊と一緒に「ランバージャック・ソング」を歌い出す。しかし、男らしい木こりの歌のはずが、最終的には……。このアイディアは床屋さん役のマイケルの発案らしい。ランバージャックもまた、パイソンの人気スケッチの1つ。

ガンビー教授のTV番組批判
頭にハンカチを被り、メガネ、ちょび髭、サスペンダーつき半ズボン、ゴムブーツ……という出で立ちのややアブナイおっさんがガンビー。近所のおっさんをモデルに作り上げたらしい。このときはグレアムが演じているが、他のメンバーもたびたびガンビーに扮して増殖していたりする。メンバーで一番ガンビーが定番化したのはマイケルだった。

ナイトクラブの司会者
おしゃべりエリックによる長ーーーい前口上。いくら尊敬してやまないお方でも、ここまで紹介を引き延ばしてその素晴らしさを語れるだろうか。

アッパー・クラス・バカ狩猟コント
いまだ階級社会が生きているイギリス。ヒエラルキーの頂点に立つ上流階級をパイソンズがコケにしまくるのは、もはや当然。

招かれざる訪問者たち
階級を1つ隔てれば、言葉の訛りも生活様式も大きく異なる。また、上の階級ほど下の階級を見下す傾向にある。というわけで、お宅に勝手に上がりこんでくる労働者階級の軍団は、住人の中流階級男(グレアム)にとってはほとんど悪夢。特に、テリーJおばちゃんと、マントとパンツ一枚のテリーGがいる場合は……。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第8話



1970年いまどきの軍人
入隊しておきながら、「危ないんだもん」「死んじゃうよ」「大きな戦争になったらケガするよ」と、上官に辞める宣言を出す新兵。自称「臆病者」だが、ある意味勇敢な行動にも思える。
スケッチ終盤に登場するヴェルコッティ兄弟は、「イタリア=マフィアの温床」という偏見ネタキャラ。マイケル演じる弟ルイジ・ヴェルコッティは、今後も第1シリーズのスケッチにたびたび登場する。

正面ストリップ
コラージュアニメとはいえギリギリです、テリーG。

欲求不満の美術評論家
スケベ精神丸出しのキャラでも、どこか可愛らしく映るのは、「ザ・いい人」マイケルの特権。

ベッド売り場
数字を10倍で言ったり、特定の単語に反応して袋を被ってしまったり。そんな癖のある人を差して「それ以外は正常です」と言われても……。実際めんどくさいよ。

世捨て人
俗世間を捨てて山暮らしをしてなお、洞窟の住居設計や食料調達について、主婦の世間話感覚で語る人々。しかもなぜか一方(エリック)はオネエ系。

踊るビーナス
第6話の『ダビデ』に引き続き、ボッティチェリの名画もパイソンズに(テリーGに)かかれば……。

死んだオウム
『空飛ぶモンティ・パイソン』で、最も有名かつ人気のスケッチ。
ペットショップで死んだオウムを売りつけられた男(ジョン)がクレームをつけに来るも、店員(マイケル)は笑顔で言い逃ればかりして絶対に謝らない。これは、マイケルが欠陥車を売りつけられた際に経験した実話がベースらしい。現在の店員さん事情はおそらく当時より改善されているだろうけど……多分まだ生き残ってるんだろうな、この手の厄介な人。
ちなみに、ジョン演じるクレーム客には「エリック・プラライン」という名前がついていて、第2シリーズにも再登場する。字幕上は「プラライン」だが発音は「プラリーヌ」で、要するに「ヘーゼルナッツクリーム」のこと。パイソンズのふざけた名字シリーズは、挙げだしたらキリがない。

露出魔の正面ストリップ
なぜ変質者ファッションは大陸を超えるのだろう……。

恐怖の不良集団グレバッバ族
正式名称は「ヘルズ・グラニーズ」。このスケッチは行き過ぎにしても、実際先進国では高齢者のパワーが増してきていると思われる。この際、巣鴨あたりで落ち着いていられるより、ハーレー(ベスパでも可)に乗ってあちこちを荒れない程度に疾走していただいたほうが、日本も活気づくのでは……というのは危険な発想だろうか。

クローム・ディヴィジョン/3rd・ラウンド・ノックアウト

悪魔だってパーティーしたいんです。
CROME DIVISION
3rd Round Knockout('11年)



ウィスキーとタバコと美女とハーレー。
ロックンロールの定番……というには、あまりにど直球すぎて引っくり返りたくなるアイテムである。逆にいえば、そういうアイテムをさらりと着こなし、タイトなロックンロールにしてしまうバンドはカッコいい。だからモーターヘッドは偉大なのだ。

クローム・ディヴィジョンは、偉大なるモーターヘッドへの敬愛をエンジンとして突っ走っている。それでいて、モーターヘッドより幾分アタマの悪そうなポジションをとっている。
2006年に1stアルバムをリリースし、本作3rdに至るまで、メンバー交代劇などはあったものの、音楽性はあまり変わっていない。酒飲んでバカ騒ぎ、バイク暴走、喧嘩上等、女遊び上等、ロックンロール最高! 的な歌詞が、大したひねりもなく恥ずかしいほどストレートに書かれている。そいつを図太いビートに乗せて突っ走らせれば、モーターヘッド直系疾走ロックンロールの完成。
というと簡単な話のように思えるが、実は結構デリケートな作業である。本家モーターヘッドに近すぎてはただのコピー、うかつに奇をてらったことをすればただのパロディ、そもそも本家とは一線を画す個性が何かなければただの二流。
クローム・ディヴィジョンの場合、モーターヘッドよりも歌詞の洗練度を落とし、ブルージーな曲を加えることで(『ゴーストライダーズ・イン・ザ・スカイ』のカバーがその最骨頂だ)、より野暮ったさを醸し出している。それでいて、サウンドにはメタル的な鋭さと重さがある。その音楽は、装飾品をムダにつけまくり、ムダにチューンアップした、カッコよさとダサさ紙一重の改造ハーレーのようだ。

コアなメタル好きにしてみれば、クローム・ディヴィジョンは、ディム・ボガーのシャグラットのサイド・プロジェクトとして名が知れているだろう。ノルウェーブラックメタル界のトップクラスに位置するディム・ボガーは、宗教・人間の闇を描く歌詞、キーボードを多用した哀愁漂うメロディ、オーケストラを起用した重厚かつ荘厳なサウンドで知られている。
そのボーカリストが、荒くれパーティー野郎丸出しの曲を書くとは、にわかには結びつけにくいかもしれない。しかし、ディムのツアードキュメンタリーで、ホテルの部屋で悪質なイタズラに精を出し、バス内では酒飲んでふざけて、延々パーティーを繰り広げている様相を見ると、案外自然な流れのように見えるのだった。

2011年9月20日火曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第7話

やっとVol.1が終わります。



 ラクダマニア
ここでいうラクダとは、ナンバーがあり、エンジンがあり、食堂があり、車掌がいて、つまり……

株主総会
1ペニー(小銭レベル)の横領ぐらい見逃してやれよ。しかも相手は初犯で、「ザ・いい人」マイケルだよ。

SFコント
パイソンズ的SF。すなわち、宇宙人の策略でイングランド人がスコットランド人に変身して、宇宙人の正体はブランマンジェ(お菓子)で、その背後にはウィンブルドン優勝という野望が……
……非常にエド・ウッド的なお話である。バカらしさとプロットの妙はエドの遥か上を行っているが。
なお、パイソンズがTVシリーズで長編スケッチをやるのは、今回が初。TVシリーズ終盤には、テリーJ&マイケルのオックスフォード組がさらに長ーいネタを提供してくれる。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第6話



芸術の時間 ヨハン・ガンボルプティ…
……ともあれ、皆さんよくこの名前をすべて言えたよ。本気でこのペースでドキュメンタリーを進めたら、一体どれくらいの月日がかかってその間に何人死ぬことか。

ダビデ
ええ、ミケランジェロの有名作品だって容赦しませんよ、パイソンズは。というかテリーGは。

法に律義なマフィアたち
この調子じゃ『ゴッドファーザー』をはじめとする名マフィア映画は生まれない。マフィア絡み犯罪の現実を思えば、これぐらい大人しければどれほど良いことかとも考えられる。

ウィゾ・チョコレート株式会社
このスケッチを見ると、ハリー・ポッターものに「蛙チョコ」が登場するたびに気色悪い気分になれる。

静かな株屋の一日
マイケルの人畜無害っぷりが存分に活かされているサイレント・コメディ風スケッチ。
ちなみに株屋は、パイソンズ的「退屈で面白味のない職業」の1つ。

劇場のインディアン
背後のお客さんに注目。そりゃこの状況下で笑うなってほうが無理だ。

馬上のスコットランド人
映画『卒業』のパロディ。ただし、式に乱入した男が盗んだのは……。

男を襲うベビー・カー
テリーGの描く乳母車や赤ちゃんには要注意。うっかりすると命の保証はありません。

20世紀ハタネズミ映画会社
元ネタはもちろん、サーチライトに「ぱんぱかぱーん」のファンファーレで有名なあの映画会社。
グレアム演じるユダヤ人プロデューサーに「ゴマすり野郎!」と真っ先に叩き出される脚本家が、現在パイソンズで一番映画監督として成功しているテリーGという点が皮肉。
書籍『モンティ・パイソン・スピークス』によると、意見を求められて切羽詰まったテリーJが答える「Splunge(スプランジ)」という単語は、グレアムが考えた造語らしい。「良い」とも「悪い」とも言い切れず、かと言って優柔不断だと思われたくないときに役立つ回答?
テンポの良さとドタバタ加減は、日本語吹き替え版でも上手いこと再現されているので、そちらも拝見願いたい。山田康雄さんのノリだと、このプロデューサーは田舎者の成金権力者ってところか。

ちなみに映画・舞台の世界では、トップクラスのクリエイターや強い権力を持つ製作者サイドにユダヤ系の方々が多い。一番有名なところではスティーヴン・スピルバーグ。末尾にバーグ(berg)が付く名字はユダヤ系の特徴。
というわけで、今回のエンドクレジットでは、全員名前の終わりに「berg」が付いている。

2011年9月18日日曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第5話



ネコさま悩ませ有限会社
……という邦題のスケッチだが、実際は「猫混乱隊」と言っている。
猫一匹にここまで気を使うか……というぐらい気を使って猫に接するネタを出すかと思えば、後には散々な猫いじめネタも持ってくる、動物愛護精神を茶化しまくるパイソンズである。

スイス時計の密輸犯
ここでは弁解下手な犯人を演じるマイケルだが、後のシリーズではクレームをのらりくらりと笑顔でかわす曲者店員役も多い。どちらにしても、彼のいい人キャラが魅力になって憎めないのだが。

犯罪とモラルについて考える
社会問題を論ずる番組といえば、知識人の論争の場。でもパイソンズに言わせればろくでもない奴らというわけで……。特別知識人というわけでもない街頭の人々も小馬鹿にするのは、ある意味平等な扱い?
ちなみに、ジョン演じるハンカチを被って文句を並べ立てるアブナイ男は、後に定番キャラクターの1つとなる「ガンビー」の原型かもしれない。

アナウンサーが容疑者か?
BBCアナウンサーからかいネタ。スタジオと背後の映像との巧みな構成が妙。

ロマンチック映画のハイライト
塔、小魚の群れ、乳牛、倒れる大木、爆破……と、大人には分かる「象徴的」フィルム。

筋肉増量マシーン「ダイナモテンション」
なんでこの手の筋肉至上主義は、アメリカで際立った発展を見せているんだろう。そして、筋肉にも勝る武器、銃が多く流通しているのもアメリカ。

おねむちゃん
こんな面接のある会社には就職したくないような、してみたいような……パイソン好きなら就職するのも悪くない?

職業紹介所
自分が希望の職に就けなかった過去を引きずっている所長に職業を紹介してもらって、果たして希望はあるのか……。

百科事典のセールスマン
おしゃべりネタが得意のエリックは、確かにセールスマン向き。しかし、訪問したお宅にいるのが女装版ジョンだったら、普通は逃げ出す。
ここで描かれているような強引な商法からか、パイソンズ的にセールスマンは強盗以下の存在らしい。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第4話



リビアのカーディフ・ルームから
クーデターでカダフィ政権が事実上崩壊した今、当時に輪をかけてヤバいロケーションネタになった。

アート・ギャラリー
196cm(ジョン)と192cm(グレアム)の巨大ペッパー・ポット。もとより迫力満点のおばちゃんがここまでサイズアップすると、もはや敵なし。
最終的に絵画を食べちゃうのは、お約束の芸術こき下ろし。

男の生きがいはリビアのカーディフ・ルームから
ここで強引にスケッチに割りこみ、「軍をバカにしている!」と止めさせてしまう軍人は、第1シリーズにたびたび登場。「くだらん!」「品がない!」と理由をつけてはスケッチを中断させている。エリックの長髪に文句をつけることも多い。
横柄な権力者役を得意とする、グレアムの人気キャラでもある。

男の生きがいは公衆の面前で裸になること
なぜか全裸/半裸キャラが定番化しているテリーJ。『空飛ぶモンティ・パイソン』で初めて脱ぎネタを披露したのは、サイレント・コメディ風のこのスケッチから。
言葉なしで笑えるネタなので、下に動画を貼りました。

フルーツから身を守る方法
なぜか果物を目の敵にしている、ジョン演じるハイテンションな護身術教官。吹き替え版では納谷悟朗さんが同じくハイテンションで演じている。怒鳴るキャラの声はほとんど銭形警部になっているが、意外と違和感なし。また、通常トーンの納谷さんの声は、比較的ジョンの地声に近い。
そして知っている人は知っているけど、グレアムの吹き替えの山田康雄さんはルパン三世の声でおなじみ。グレアムの声もほとんどルパンだが、こちらも意外と違和感がないという不思議。手足が長いという点では、ジョンもグレアムもモンキー・パンチの絵みたいだし。
中盤にテリーJを押しつぶす16トンの重りは、これ以降「強引なオチ」のしるしとして落とされることに。

熱心な執刀医たち
手術の度がすぎて患者をバラバラにする医者たちを描くアニメーション。パイソンズの「茶化すべき権力者リスト」には、医者も含まれている。

男の生きがいはイングランドの緑
ジョンの最後のセリフ「二度とプロデューサーとは寝ないぞ」を、「あんなプロデューサーもう愛してあげない!」に訳したのは、吹き替え版製作の妙。そこだけちょっと女性的な口調になった納谷さんの技の妙でもある。

英国歯科医師会こそ男の生きがい
本屋、歯医者、ボスのビッグ・チーズ……が、スパイ/ギャング劇風に入り乱れて、第1シリーズ屈指の謎なストーリーになったスケッチ。しかし、全員が銃や対戦車砲まで持ち出して、必死こいて探しているのが「歯の詰め物」ってだけで、バカらしさが一気に増すのであった。

テリーJの脱ぎネタはこちら↓

2011年9月16日金曜日

パイレーツ・ロック

バカに「ロックンロール」は最高の褒め言葉。

パイレーツ・ロック('09)
監督:リチャード・カーティス
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン、ビル・ナイ



ビル・ナイがキャプテンを務める船といえば? 
……フライング・ダッチマン号? まぁ、それも正解。CGでタコ、もといデイヴィ・ジョーンズになってるから、誰だかわかんないけど。(『パイレーツ・オブ・カリビアン』参照)
それじゃ、ビル・ナイがキャプテンで、フライング・ダッチマン号よりもジャック・スパロウよりもロックな船って知ってます?

答えは、イギリス領海外に停泊中の海賊ラジオ局、「ラジオ・ロック」。
物語の主人公は、高校を退学になった少年カール。彼は、母親の旧友であり名付け親でありラジオ・ロック経営者であるクエンティンに預けられ、ラジオ・ロックの船内で暮らすことになる。
ラジオ・ロックで共に生活するのは、個性的なDJと個性的なクルーたち。自由を愛するアメリカ人のザ・カウント、長らくイギリスを離れていた伝説のDJギャヴィン、お人よしのサイモン、皮肉屋のデイヴ……。ロックと、バカなゲームややり取りに心血を注ぐ非日常的日常に、カールは戸惑いながらも溶けこんでいく。
しかし、その頃陸上では、政府が海賊ラジオ局が風紀を乱しているとして目の敵にし、取り締まりの法案を着々と進めていた。

ラジオ・ロックは架空の放送局だが、1966年のイギリスに海賊ラジオ局が存在していたのは事実。当時、イギリスのラジオは国営放送BBCのみ、しかも1日にたった45分しかポップ、ロックを流すことができなかった。ロックがぎっしり詰まったiPodをペースメーカーとする人間にとっては、禁断症状や発作が起きそうな環境である。
そこで誕生したのが、法律が適用されないイギリス領海外に船を停泊させ、そこから電波を飛ばして24時間ポップ、ロックを放送し続ける海賊ラジオ局。当時、イギリスの人口の実に半数以上が、海賊放送を聴いていたそうだ。

ロックの需要のためとはいえ、領海外に船を出し、政府を敵に回すこと自体、バカみたいに映るかもしれない。
船上の生活も、娯楽のためにバカをやるだけでなく、信念(それも客観的に見れば、時にどうでもいいものかもしれない)のためにバカをやるとなると、もはや大バカもいいところである。
ラジオ・ロックのメンバーをそこまで駆り立てたのは、ロックへの渇望である。イギリス人口の半分に至るリスナーだけでなく、彼ら自身がロックと、ロックに生きることを求めているのだ。放送に情熱を注ぎ、権力者を挑発し、悪ふざけや女遊びに興じるDJたちの姿は、古典的なロックスターそのものである。
クライマックスの「ロックンロール!!」の雄叫びは、すべての愛すべきロックバカへの、最大級の賛辞なのだ。

60年代が舞台なので、サントラもザ・キンクス、ローリング・ストーンズ、クリーム、ザ・フーなど、当時のロックの名曲が名を連ねる。いずれも普遍の名曲なので、「懐かしの曲」「古い曲」といった印象がないのは当然のこと、「最高に幸せな瞬間にも辛い瞬間にも寄り添ってくれる音楽」という描き方が、ベタながら音楽好きには時代を超えて通じるものがある。

2011年9月14日水曜日

羊たちの沈黙

エンターテインメント、ごちそうさまでした。

羊たちの沈黙('91)
監督:ジョナサン・デミ
出演:ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス



ノーカントリー』のシガー然り、『冷たい熱帯魚』の村田然り、優れた悪役は、居るだけで怖い。そのくせ、目を離すことができない魅力がある。
人を食い、俗物とみなした相手には人を食った(それでいて知的な)応答でかえし、振り返ってみれば他のキャラクターの存在感まで食っていた本作の御仁が、そうした悪役の代表格に挙がることに疑問は湧かない。本来相当な猟奇性とインパクトを持つはずのバッファロー・ビルさえ、完全に食われている。
御仁にあってビルにないのは、底しれぬ知性と、その心理の大いなる謎。性質の悪いことに、それが御仁の最大の魅力なのだ。

女性を誘拐・殺害し、死体の皮の一部を剥ぐ「バッファロー・ビル」事件捜査のため、FBIは訓練生クラリス・スターリングを、精神科医にして殺人鬼のハンニバル・レクター博士のもとへ送りこむ。レクター博士は、クラリスにバッファロー・ビルの正体についてヒントを与えるが、見返りに彼女の過去の話を求める。

実は、ストーリーには大作映画的なご都合主義展開が多く見られる。そんな無茶な、と思わせるシーンもある。ストーリーを牽引したのはプロットというより、俳優の力によるところが大きかった。もしくは、時に緊張感を高め、時に言葉を使わずしてすべてを物語る撮影技術か。
このノリが何に一番近いかといえば、同じサイコ・サスペンスに分類される『セブン』よりも、多少ムチャクチャでもド派手にやればOKな、シュワちゃんやセガール系のアクション映画のように思える。

物語の核となるのは、レクター博士とクラリスの関係である。駆け引き面でいえば最初から圧倒的にレクター優位なので、心理的攻防戦などのスリルはない。代わりに、クラリスの目線でレクターを見るにつけ、自身の理解の範疇を超えた知性と狂気に直面するスリルは、いくらでも味わうことができる。画面いっぱいにアップになったレクターの顔は、「人を魅了する悪」の具現化だ。アンソニー・ホプキンスのきれいな青い瞳が、もっとも畏怖の対象になった瞬間でもある。
しかし、2人の間に漂う緊張感は、レクターへの畏怖だけで構成されるものはない。そうでなければ、1度指先が触れあっただけのシーンで鳥肌が立つだろうか?

ちなみに、御仁の心理の大いなる謎は、後の『ハンニバル』『ハンニバル・ライジング』でトマス・ハリスが明かしてくれた。ハリスには申し訳ないけど、御仁の謎は羊たちと一緒に沈黙させておいたほうが魅力的なように思えた。

2011年9月12日月曜日

ザ・シスターズ・オブ・マーシー

スモークの闇からこんばんは。

THE SISTERS OF MERCY
Original Album Series('10年)













このバンドは暗黒にお住まいである。
ボーカリストのアンドリュー・エルドリッチは、アルバムごとにメンバーをクビにしたりメンバーに愛想をつかされたりで唯一のオリジナルメンバーになったという経歴からして、平和的なお方じゃない。
ネットで拝見した近年のお姿は、スキンヘッドのせいか昔の写真より怖さ10割増。
どちらかといえばラヴ&ピースな空間のフジ・ロックに、なぜ彼らは呼ばれたのか。答えは主催者の日高さんのみぞ知る。
しかし今となっては、この機会にザ・シスターズ・オブ・マーシーに出会えたことに感謝している。

エルドリッチは「ゴシックロック(ゴス)」という称号を嫌っていたらしいが、シスターズは「ゴスの重鎮」として紹介されている。乱暴に言いきってしまえば、ゴスの特色は黒ずくめファッション、ダークな歌詞、ダークなメロディであり、シスターズもそれらを満たしている。
しかし、1st『First And Last And Always』から、シスターズはダークなのを通り越して重苦しい。2nd『Floodland』は女性ボーカルが加わって妖艶さを増したが、それでもなお重苦しい。3rd『Vision Thing』はハードロック風だがやっぱり重苦しい。Bサイド集『Some Girls Wander By Mistake』にはイギー・ポップやローリング・ストーンズのカバー曲もあったが、それも重苦しくなっていた。ベスト盤『A Slight Case Of Overbombing』は……もう言うまでもない。

いわゆるゴスに分類されるバンドの中で、シスターズの音は一際陰鬱なように思える。ビートはドラムマシンなので単調、エルドリッチのボーカルも同じくらい淡々としていて、感情の起伏がない。
ただし、深くて低い声のせいか、異常に不気味に響く。不思議なことには時に艶っぽくさえ感じる。でもひとたびドスを効かせると、やっぱりすべてを闇で包みこんでしまうのである。

ところで、フジのシスターズは、暗黒音楽の引力と、レッド・マーキー(テントステージ)がガラガラという状況と、大量のスモークでステージが見えないという視覚的理由から、かなり前のほうで拝見させていただいた。
エルドリッチはCDで聴くよりもドス声になっていて、低音ボーカル大好き人間には嬉しかった。もう少しボーカルが前に出ていればよかったのだが……PAトラブルでもあったんだろうか? 
一方で、なぜそれを選んだのか疑問な蛍光黄色シャツや、煙草をふかしつつサングラス越しにオーディエンスに睨みを効かせるお姿は笑えるような怖いような。ただ、たまたま私がいたエリアを3分以上睨みっぱなしだった時だけは、さすがに怖さのほうが勝った。散々ふてぶてしい態度をとってきたエルドリッチだが、去り際には深々とお辞儀。
以来、シュールさと素敵さの間を行き来するこのお方を、私は敬意と親しみをこめて「エルドリッチおじさん」と呼んでいる。

ハイ・フィデリティ

シンパシー・フォー・音楽オタク。

ハイ・フィデリティ('00)
監督:スティーヴン・フリアーズ
出演:ジョン・キューザック、ジャック・ブラック



①特にどこかで発表するわけでもないが、何らかのマイ・ベスト5を作る癖がある。
②自宅のレコード、CD、DVDなどの並びにこだわりがある。
③人がいる場で音楽をかけて、誰かこの曲気に入るだろうかと期待する。
④自分の音楽コレクションからベスト盤を作ったが、人に気に入られず玉砕したことがある。
――以上の項目に当てはまる人は、おそらく主人公の喜悲劇を笑いつつも、内心笑えないだろう。

主人公ロブ・ゴードンは、レコードショップを経営する30代の音楽オタク。そして、同棲していた彼女に出て行かれたばかり。
なぜ自分の恋愛はこうもダメなのか? 自分の何がいけないのか? 自身を見つめ直すべく、彼は今までの「ツラい失恋トップ5」の元カノたちを訪ね歩く。

ラブストーリーだけ切り取ってみれば、本当にどうということのない人間関係の1コマのはず。それがやけにグサリとくるのは、音楽オタクの生態が如実に反映されているからだ。
ベスト盤を作るときは、相手の好みの曲と自分のお勧めの曲を調和させるサジ加減が難しい。レコードやCDの棚は、自分にしか分からないルールで整理。語りあえる同志が欲しいと思う反面で、ついつい閉じた世界を作ってしまう不器用さは、どうしても現実の人間関係にも影響してしまうのだ。童顔ジョン・キューザックは、そんな「いい歳こいた子ども」にピッタリである。
その一方で、自分がそうしたオタクで色々ダメな点も多い人間であると知った上で、バンドとしてステージに立つジャック・ブラックは逆にカッコいい。ロックスターは自分のカッコ悪さを熟知しながらステージに立つからカッコいいのだ。

それにしても、良い点も悪い点も含めて、音楽オタクの癖が国境を超えていることにはつくづく驚かされる。
ちなみに、私も90%ぐらいロブ・ゴードンである。

もう1つ、この映画を基にオタク指数を測れるポイントは、BGMと小道具。
かかっている音楽、登場人物が着ているTシャツ、画面に映りこむレコードのジャケットに過剰反応すればするほどハイレベル。
が、Wax Trax! Tシャツを見て「すげー! Tシャツあるんだ!」って思った人は私以外に何人いるだろう。深く考えると哀しい。

2011年9月11日日曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第3話



遠くから異なる種類の木を見分ける方法
執拗にカラマツ(Larch)ばかり出してくるこのネタは、第3話の最後まで引っ張られる。
蒸し返しギャグもパイソンズお得意。

法廷にて
この頃から、テリーJの吹き替えは、たとえ女装キャラでなくても(このスケッチのように裁判官であっても)おばさん口調になってくる。
被告エリックはムダに熱く自由の重要性を語り、弁護士ジョン(本当に弁護士資格あり)はろくでもない証人ばかり出廷させ、証人の1人グレアムおばさんは関係ないマシンガントーク、これまた証人としてピンクコスチュームのリシュリュー枢機卿(マイケル)が登場、最後はミュージカル風になり、甲冑男テリーGが強引にオチをつける。
パイソンズ各自のキャラが立った、ある意味集大成的スケッチ。

自転車修理マン
アメリカ代表ヒーロー、スーパーマンをバカにした風のスケッチ。
そういえば、アメリカ以外のコミックヒーローってあまり聞かないかも。

良い子のお話の時間
絵本のどのエピソードも18禁な方向に転がる、良い大人のお話の時間。

レストランにて
フォークが少し汚いと指摘しただけで、絶望の淵に立たされるレストラン従業員たち。テリーJのフランス人ウェイター演技が光る。包丁片手にやってくるジョンはちょっとした恐怖。
スケッチの前後には、マイケルが司会者風に登場。ただのにこやかないい人だけでなく、笑顔が胡散臭い男も務まるのが彼の強み。

ミルクマン
罠にかけられるミルクマンを演じるマイケルがやけに可愛いのは、人懐っこい笑顔だけでなく、人並みの下心がうかがえるから。
こうしたキャラクターの幅の広さから、マイケルは役者としての評価も高い。

盗まれたニュースキャスター
パイソンズはBBCのもとで番組を制作していながら、当のBBCのアナウンサーをバカにすることも忘れなかった。
ちなみにジョン演じるアナウンサーは、第2シリーズからレギュラーキャラになる。

子どもインタビュー
エリック、マイケルはギリギリとして、おっさん顔のテリーJも小学生役というのは無理があるように思える。
が、小学生にして世馴れたおっさんのような表情&口調の男子も、案外いるのである……。

ナッジ・ナッジ(このぉ、ちょんちょん)
ナッジ(Nudge)とは、「(注意をひくために肘で)そっと突く」の意味。(リーダーズ英和辞典より)
それを「ちょんちょん」と訳し、エリックの吹き替えである広川さんの喋り芸と合体させたのは、日本版の功績といえる。「分かってんでしょ! ちょんちょんなんだからこっちは!!」などなどの喋りの妙は、文字に起こすと伝わりにくいのが残念。
パブの上流階級紳士(テリーJ)に延々下ネタで絡む「ちょんちょんの男」は、エリックの代表的キャラクターであり、後のパイソンズ・ハリウッド・ライヴで登場したときには大歓声を浴びていた。

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第2話

はじめに、いちいちフルネームで書くのがまどろっこしいので、以降テリー・ジョーンズの表記をテリーJ、テリー・ギリアムの表記をテリーGとします。




木登り羊のハロルド
パイソンズ界では、「群れで行動し、牧羊犬や羊飼いの命令に忠実」という羊の習性すらネタになるらしい。

羊型コンコルド
コンコルドの説明をするフランス人も、ベレー帽&口髭&横縞シャツという偏見のカタマリで構成されている。おそらく、パイソンズがもっともネタにすることが多い外国人は、フランス人とドイツ人だろう。
ちなみに、胡散臭いフランス人キャラが上手いのは、テリーJとマイケルのオックスフォード組。

お尻が3つに割れた男
……という名目でテレビに出ているのに、尻をカメラに映されるのを嫌がる男というナンセンス。

ネズミ虐待オルガン
動物保護精神溢れるイギリスではバッシングもののネタ。案の定、途中で「止めろ!!」とオルガン奏者が撤収されるというオチが。
ちなみに、テリーGの監督作『バロン』には、奴隷虐待オルガンが登場する。

結婚カウンセラー
ここに登場する、マジメで気弱で「バカ」のつくお人よしキャラは、「ザ・いい人」マイケルの得意分野。
キャラクターの名前はアーサー・ピューティー。第2シリーズの「バカ歩き省」にも、マイケル演じるピューティーという男が登場するので、同一人物かもしれない。
その妻を演じたキャロル・クリーヴランドは、パイソンズ全員お気に入りのコメディエンヌ。パイソンズ・ライヴに同行することも多く、「第7のパイソン」とも呼ばれるように。

おてんばヴィクトリア女王
保守的時代の象徴たるヴィクトリア女王は、その後も何度となくパイソンズのネタにされる。
パイソンズで最初に女王を演じたのは、一番おっさん顔のテリーJだった……。

親子間階級闘争
労働者階級訛りでラフな格好の父親(グレアム)と、中産階級訛りでスーツを着こなす息子(エリック)。ブルーカラーの親父とホワイトカラーの息子の対立かと思いきや、会話の内容を聞いてみると実は……。
もう1つの見どころは、父と子の間で喧嘩を止めようとするテリーJママ。

討論番組「エピローグ」
「神は存在するか」というテーマを、聖職者と無神論者の教授が討論……しない。
マトモに話し合わない知識人というこのスケッチは、後にパイソンズ映画『ライフ・オブ・ブライアン』を巡る討論番組で図らずも現実になってしまった。彼らの映画に反対する「良識派」の人々は、パイソンズがキリストをバカにしていると決めつけてものを言っていた。

ネズミ問題
好奇心からネズミコスチュームやチーズ漁りに手を染め、気がつくとネズミ・パーティーに顔を出すようになり、今でもネズミになってみたいという欲求がふと蘇ります。
ドラッグ問題のニュース・ドキュメンタリーを、「ネズミ」に置き換えるとこうなる?

空飛ぶモンティ・パイソン 第1シリーズ第1話

『空飛ぶモンティ・パイソン』のレビューは、シリーズの1話ごとに行いたい。
また、全てのスケッチやアニメーションの解説はできないかもしれない。




イッツマン
マイケル・ペイリンの代表キャラクター。オープニング前の「It's…」を言うためだけに出てくる、ボロボロの格好の老人。
特に第1シリーズでは、「It's…」のためだけに長距離を走らされたり、地雷原をくぐり抜けたり、食肉工場にぶら下げられたりと悲惨な目に遭っている。
記念すべき第1回目は、海を渡って登場。

英国人と豚の競争
第1話全編にわたって続く、「イギリス人と豚、どっちが多く死ぬか対決」。
人種・国家もネタにするパイソンズだが、一番ネタにしているのは自分たちイギリス人だったりする。なぜか、イギリス流ユーモアは自虐ネタが多い。

有名人の死に方コンテスト
歴史上の偉人をいじくり倒すスケッチも、『空飛ぶモンティ・パイソン』の定番。
ここでも最後のネタに、イギリスの英雄ネルソン提督を持ってくる自虐あり。偉人や権力者をゲイ設定にするのもパイソンズ流。

イタリア人のためのイタリア語講座
陽気でハイテンション、自己主張が強い、歌うの大好きというイタリア人のステレオタイプを茶化す。
この他のイタリア人ネタには、「女好き」「マフィアのお膝元」がある。

ペッパー・ポット
パイソンズが演じるおばさんキャラの総称。下半身が肥大して胡椒ビンみたいということでそう呼ばれている。この回のバター・コマーシャルスケッチで初登場するが、その後もテレビシリーズを通して何度となく出現。
一番おばさんが堂に入っているのはテリー・ジョーンズ、一番若い女性らしいのはエリック・アイドル。2人とも、細かい仕草が女性的なのが上手いポイントである。

芸術の時間
同じくパイソンズの鉄板、芸術こきおろしネタ。
高名な芸術家をナメくさったインタビューや、有名芸術家が自転車レースで絵を描く企画を決行。

ヴィクトリア時代・思い出のアルバム
昔の写真のコラージュでシュールな作品を作るテリー・ギリアムのアニメは、「ギリアニメーション」と呼ばれていたらしい。
特に、芸術作品や由緒ある時代の写真を使った過激ネタは、パイソンズの権力者茶化しに大いに貢献している。

殺人ジョーク
読んだ人をことごとく笑い死にに至らしめるジョークが、第二次世界大戦の最終兵器として利用される話。ここでは、ドイツ人=ユーモアがないという偏見ネタが。
パイロを使ったシアトリカル・ロックバンドのラムシュタインや、『ドリームシップ エピソード1/2』などのパロディ映画がドイツから生まれた今、もしパイソンズがドイツ人偏見ネタを作ったら、「ユーモア感覚が変態っぽい」という話になっていたのだろうか。

モンティ・パイソンもののレビュー前に

It's…(始まるよ)




確かにモンティ・パイソンには映画版がある。メンバーのほとんどは映画関連の仕事をしている。
しかし、彼らの中心に『空飛ぶモンティ・パイソン』というテレビ番組がある以上、「映画」という枠ではなく、新たに「モンティ・パイソン」という枠で語ったほうがいいように思えた。
かくして、ブログのラベルにパイソンが追加されたのだった。

モンティ・パイソンに関する書籍やウェブサイトは多々ある。製作している人はリアルタイムで番組を観ていたファンだったり、リアルタイムでなくとも熱心なファンだったり、当時のイギリスの政治・風俗に詳しい研究家だったり、パイソンズ本人たちにインタビューしてきたライターだったりするので、現時点でパイソニアン歴2年目の私の解説より、そういった資料を見たほうがより正確な情報を得られるはずである。
しかし、他に丸投げなんていい加減な仕事をしていると、どこからか乗りこんできた軍人に厳重注意を受けそうなので、可能な限りのイントロダクションを書くことにする。

モンティ・パイソン概要
モンティ・パイソンとは、1969年からイギリスBBCのコメディ番組で活躍したグループ。もとは『空飛ぶモンティ・パイソン』という番組名のことだったが、次第にグループ6人のことを指すようになる。番組は1974年まで、全4シリーズが放送された。
権力者、偉人、知識人をどこまでもコケにして、人種・宗教・偏見など何でもネタにするというブラックなスケッチ(コント)が人気。オチがなく、スケッチからスケッチへ話が繋がるという流れが斬新と評価され、英国コメディ史における革命的存在となる。「コメディ界のビートルズ」という称号も持つ。

なお、「モンティ・パイソン」というネーミングは、番組名をつけるにあたって思いつきで決まったもの。メンバーのエリック・アイドルいわく「人生と同じで大した意味はない」らしい。

日本では昔、テレビ東京にて日本語吹き替え版が放映されていた。吹き替え声優陣の豪華さとクオリティの高さから、いまだ評価が高い。
日本語吹き替え復刻のボックスセットも出ているが、日本で放映されなかった放送回があったり、権利関係で吹き替え音声が使用できない部分もあったため、日本語音声のない部分も多々ある。

パイソンズ・メンバー  *()内は日本語吹き替え声優
①グレアム・チャップマン(山田康雄)
ケンブリッジ大出身。医学専攻で、医師免許を持つ。スケッチで医者の役を演じることも多かった。
192cmの長身で、軍人や警察官など横柄な権力者役が得意。パイソンズ映画では主役をはった。
私生活はかなり破天荒だったらしく、アルコール中毒の問題も抱えていた。また、オープンゲイであり、ゲイの人権擁護活動も行っていた。
1989年、脊椎ガンにより48歳で亡くなった。その後パイソンズが集まるときには、遺灰として骨壷で登場していたりする。

②ジョン・クリーズ(納谷悟朗/第1シリーズ1・2話だけ近石真介)
ケンブリッジ大出身。法学を専攻し、弁護士資格を持つ。
196cmとメンバー1長身。迫力があるためか、高圧的なキャラクターを演じることが多い。
第4シリーズを前にいち早くパイソンズの番組から離れ、コメディドラマや映画の脚本製作に当たっていた。近年の007シリーズ、「チャーリーズ・エンジェル」シリーズ、「ハリー・ポッター」シリーズなど、大作映画への出演も多い。

③エリック・アイドル(広川太一郎)
ケンブリッジ大出身。言語学専攻。延々と続くしゃべくりや、言葉遊び的なネタを得意とする。
自称「パイソンズで3番目に背が高く、6番目に性格がいい男」。
出版や音楽活動でも才能を発揮し、パイソンズ映画『ライフ・オブ・ブライアン』の主題歌「Always Look On The Bright Side Of Life」が代表作。
パイソンズ映画『モンティ・パイソン・アンド・ザ・ホーリー・グレイル』を基盤にしたミュージカル『スパマロット』の脚本・作曲担当でもある。

④テリー・ジョーンズ(飯塚昭三)
オックスフォード大出身。中世英文学専攻。サイレントコメディ風スケッチやドタバタ劇など、ビジュアル的な笑いが得意。(これはオックスフォードのコメディの特色らしい)
おばさん役の上手さはパイソンズ1。「裸のオルガン奏者」をはじめ、なぜか全裸/半裸役が多い。中世イギリス史の研究書を書いたり、歴史番組をつくったり、児童文学を書いたり、ジャーナリストとしてコラムを書いたり、映画監督・脚本家(パイソンズ映画含む)を務めたりと、多分野で活躍。

⑤マイケル・ペイリン(青野武)
オックスフォード大出身。歴史学専攻。テリー・ジョーンズとは大学時代からの腐れ縁で、同じくビジュアル・ギャグを得意とする。
にこやかで優しそうな見た目に違わずいい人と評判で、パイソンズ好感度ナンバー1。一緒に仕事がしやすいからと、他メンバーの映画などのプロジェクトによく呼ばれている。
旅行好きが高じて、BBCで旅行番組を制作したこともある。

⑥テリー・ギリアム(古川登志夫)
オキシデンタル大出身。政治学専攻だが、アートの技法も学ぶ。メンバー唯一のアメリカ人。
スケッチにはあまり出演せず、スケッチをつなぐシュールなアニメーションを製作。たまに出演すると、なぜか変態っぽい役どころが多い。
『未来世紀ブラジル』『12モンキーズ』『Dr.パルナサスの鏡』などの映画を生み出し、鬼才監督として名を馳せている。

ゴーストライター

平熱のサスペンス。

ゴーストライター('10)
監督:ロマン・ポランスキー
出演:ユアン・マクレガー、ピアース・ブロスナン




ロマン・ポランスキーほど、自身の人生がそこいらの映画以上に劇的な映画監督もいないんじゃなかろうか。
母をアウシュヴィッツで亡くし、2人目の妻をカルト集団に殺され、性犯罪容疑をかけられてアメリカを離れ、以来入国できないままアカデミー賞を受賞し……
そんな現実(ノンフィクション)の凄まじさを知っているからだろうか。どれほど劇的な事件でも、ポランスキーはフィクションをどこか冷めた目で描いているようにも思える。

主人公であるゴーストライターは、亡くなった補佐官の後任として、元英国首相の自伝執筆を依頼される。元首相の住むアメリカの孤島を訪れ、原稿のリライトを進めるうちに、彼の経歴に疑問を覚えるようになる。前任者が遺した手がかりをもとに謎を追うが、事件の核心に迫るにしたがって国家レベルの秘密に触れるようになり、ライター自身にも危険が迫る。

謎を追いつつ何者かに追われるという展開は非常にサスペンスフルなはずだが、主人公が比較的冷静であるためか、観ていて緊張状態が続くことはない。というより、主人公以前に監督自身が、このミステリーを冷めた目で観ているようだ。映画的でありながら、どこまでも冷めた描写のオープニング/エンディングショットによく表れている。
また、取り立てて大がかりな謎が隠されているわけでもないので、謎解きもののミステリーとして観ると物足りなく思えるだろう。
ただし、隠蔽工作がやけにスムースに行われている描写や、ブロスナン演じる元首相がトニー・ブレアを彷彿させるところなど、妙にリアリティを感じさせる作品ではある。

この映画は、ポランスキーと共同で脚本を書いているロバート・ハリス著の小説を基に作られていて、決してポランスキーのオリジナルストーリーではない。
しかし、ストーリーを追うにつけ、ヒッピーカルチャーの影から生まれたマンソン・ファミリーの手で妻を奪い、犯罪容疑のため離れざるを得なくなったアメリカへの、ポランスキー流の当てつけではないかと勘繰りたくなってしまう。

2011年9月9日金曜日

カム・トゥ・ダディ・EP/エイフェックス・ツイン

神経を侵食する音と顔。

APHEX TWIN
Come To Daddy EP ('97年)



クリント・マンセルが手がけた、映画『π』のメイン・テーマを聴くと、「神経症」という表現が浮かぶ。ひんやりとしたエレクトロニカのサウンドと性急なビートは、正確無比の数学能力を持ちながら、パラノイアで、次第に追いつめられていく主人公の頭の中そのものだ。
そしてこの感覚は、エイフェックス・ツインのアルバムを聞いたときの感覚に似ている……と思ったら、サウンドトラックにはしっかりエイフェックスの曲が入っていたのだった。

サントラ収録の「Bucephalus Bouncing Ball」がM4に入っていて、なおかつエイフェックス屈指の神経症的サウンドの作品が、このEPである。
何といっても、表題曲のドリルンベースの耳につくこと。それに乗ってくり返されるフレーズ「お前の魂が欲しい、お前の魂を喰ってやる、パパのところへおいで」の不気味なこと。この曲は映画『8mm』でも、スナッフ・フィルムの殺人鬼の部屋でかかっているレコードの曲として流れている。
表題曲のリミックスも2曲収録されているが、エイフェックスの「リミックス」とは「完全なる再構築」なので、原曲の面影はまったくといっていいほど残っていない。
その他の楽曲も、ビートの刻み方や響きが神経に響く。特にM4「Bucephalus…」は、トレイの上に落とされたガラス玉の音をズタズタに刻んで執拗にくり返す、嫌がらせスレスレのアートになっている。
M2「Film」とM8「Iz-Us」はかろうじて穏やかだが、この場に収録されていると、根底に何やら不穏なものがあるような気さえしてしまうのだった。

それにしても、エイフェックスのCDジャケットには、エイフェックス・ツイン=リチャード・D・ジェイムズのポートレートが多い。それも不気味な笑顔。量産されてずらりと並ぶリチャードの顔は、まるで記号である。
この顔はPVにもよく表れるが、増殖して迫って来るので、ジャケに輪をかけて不気味だ。「Come to Daddy」では、ジャケ写のようにリチャードの顔を貼りつけた子どもたちが廃墟で暴れまわり、大人を追い回す。さらに、テレビ画面にはリチャードの顔をさらにデフォルメした怪物のような顔が映る。
短いながらも、そこらの映画より心理的に「来る」ホラー作品となっている。

セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ

腐った映画を、地獄へ道づれ。

セシル・B ザ・シネマ・ウォーズ('00年)
監督:ジョン・ウォーターズ
出演:メラニー・グリフィス、スティーヴン・ドーフ



いつの時代にもおもしろい映画は必ずあるから、「今どきの映画はつまらない」なんて言う気にはなれない。
しかし、映画業界は年々まずくなっているんじゃないだろうか。テレビ局の後ろ盾がないと、大々的な宣伝も上映館数の増加もできない。あるいはテレビドラマの劇場版の乱発。シネコンが増加した分、マイナーな良作を世に出すミニシアター系劇場が減少。
何よりアレは何とかならんのだろうか、芸能人による映画プロモーション。芸能人のゴシップ(お笑いの人ならネタ披露)ばかりが採り上げられて、肝心の映画宣伝はおざなりになっているのだから。

……という文句を飛び越えて、映画業界に体当たりで喧嘩を売っている監督が、ジョン・ウォーターズ。下劣モード全開の『ピンク・フラミンゴ』が有名だが、それとはまた違ったベクトルで「スゴいものに出くわした」感を味あわせてくれるのが、この映画である。

わがままで尊大なハリウッド大女優、ハニー・ホイットロックが、プレミア試写会の場で誘拐される。犯人は、映画監督セシル・B・ディメンテッド率いるゲリラ映画撮影隊「スプロケット・ホールズ」。彼らはハニーを主演女優に強引に抜擢し、予算ゼロの映画製作を通じて、ハリウッドの商業主義・検閲だらけの映画システムに戦いを挑む。巻き込まれるかたちとなったハニーだが、己のビジョンと映画のために命を懸ける彼らと撮影を続けるうちに、女優魂を開花させていく。

セシルがウォーターズ監督そのものであることにほぼ疑いはない。ウォーターズ自身、過去にゲリラ撮影、しかも全裸撮影を決行して逮捕というヘビーすぎるエピソードを持っている。ただ幸いにして、ウォーターズは両親からの理解に恵まれていたため、セシルのようにシネコンや撮影現場へ直々に殴り込むほどのバイオレンスに走ることなく、エネルギーを映画製作につぎ込んでいた。
とはいえ、危険度とインディペンデント精神に溢れた自分の作品をシーンに送り込むこと自体、ウォーターズ流の爆弾小包であるように映るのだが。

セシルを演じるのはスティーヴン・ドーフ。端正なお顔をギラギラさせるキャラが多い人だが、ここでも顔面をギラつかせて、映画愛を全身全霊で体現。
主演というより、監督の共犯者というほうがしっくりくるようにすら思えてしまうのだった。

2011年9月8日木曜日

π 〈パイ〉

この素晴らしきパラノイドの世界。

π ('97年)
監督:ダーレン・アロノフスキー
出演:ショーン・ガレット、マーク・マーゴリス



『ブラック・スワン』といい『レスラー』といい、ダーレン・アロノフスキーは、何かに打ちこむ人間を精神的、肉体的に追いつめる展開が好きなように思える。
ただし、これは「サディスティック」の一言では片づけられない。追いつめられた人間の精神状態は、観る側にとっても作る側にとっても、映画の題材として興味深いからだ。
デビュー作であるこの映画の主人公は、世界のすべてを1つの数式で解き明かせると信じてやまない天才数学者マックス。株式市場やカバラにおける数学を研究し、数字の核心に辿り着くにつれ、激しい偏頭痛と幻覚に苦しめられることになる。

このマックスという男、数学に関しては天才的だが、社会性は極めて低い。
自宅アパートは自作のスーパーコンピューターで埋め尽くされ、どうやって日常生活を送っているのか分からない。
とりわけ対人関係は恐怖症といってもいいほど苦手で、他人を前に萎縮する姿はまるで子ども。
ストーリーは完全にマックスの視点で描かれているので、観客は1時間25分の間、延々パラノイアックな天才の世界に付き合うことになる。

パラノイドの視点に観客を惹きこむため、アロノフスキーは加速を重視した。
ストーリーは、ボディカメラの映像、カットの連続、盟友クリント・マンセルのスコアによって加速する。ストーリーが進むに従い、マックスの狂気が加速する。頭痛の頻度も加速する。彼を取り巻く人々の緊張感も加速する。
もちろん、ストーリーに惹きこまれる人の緊張感も加速する。
結果的に、何かに打ちこむ主人公だけでなく、ストーリーに打ちこむ観客も追いつめられているのだ。

なお、アロノフスキーは、観客に神経に響く痛みを伝えることも得意である。
ここでは、たびたびマックスを襲う頭痛と、マックスの幻覚に表れる脳のイメージが、観客の脳ミソをずきずきと刺激する。特に、激しい頭痛の描写は、頭痛持ちには身につまされるほどである。
その点、観客に対してはサディスティックなのかもしれない。

2011年9月6日火曜日

ロッキー・ホラー・ショー

セックス、ドラッグクイーン、ロックンロール。

ロッキー・ホラー・ショー ('75年)
監督:ジム・シャーマン
出演:ティム・カリー、スーザン・サランドン



「性倒錯と服装倒錯とマッドサイエンティストと殺人とカニバリズムをミュージカルでくるんだポップなB級エンターテインメント」
昔、友人にこの作品を紹介する際にそう語ったところ、ドン引きという正しい反応を得た。
今考えるとこの紹介はマズさの極みで、表現方法に疑問もあるが、「性/服装倒錯」「マッドサイエンティスト」などのキーワードは誇張ではないと断言できる。

平凡なカップル、ブラッドとジャネットは、山道で車のタイヤがパンクしたため、近くの古城に助けを求めに行く。ところが、城の主はトランスセクシュアル・トランシルヴァニア星からやって来たマッドサイエンティスト、フランク・N・フルター博士。折しも城の中では、博士好みのブロンドで日焼けしたマッチョ男人造人間、ロッキーが誕生するところだった。倒錯だらけの異星人たちに囲まれた一夜は、ブラッドとジャネットの人生に大きな変化をもたらすことになる。

どう噛み砕いても消化は難しいと思われる、ゲテモノすぎるキーワードとストーリー。合わない人の場合、展開がメチャクチャ、結末も中途半端という意見が多い。
それにも関わらずコアなファンを得た理由は、古臭さをまったく感じさせない音楽にある。ロックというよりポップだが、「SF怪奇映画2本立て」「タイムワープ」など、キャッチーで耳に残る曲の数々。脚本・出演・作詞作曲をやってのけた、リチャード・オブライエンの功績である。
奇抜な衣装も時代を感じさせず、パンクやグラムロックのファッションといっても差し支えない。
そして何より、きらびやかな悪趣味に満ちた倒錯者の世界には、アウトサイダーにならざるを得ない哀しみが隠れていることを、オブライエンは知っていた。

この作品に熱狂した人々は、ただ映画を観るに飽き足らない。
スクリーン上映とセットで、有志の役者(ほとんど素人)が舞台を演じる。客席の人々もキャラクターの仮装をしたり、セリフにツッコミを入れたり、場面に応じてクラッカーを鳴らしたり新聞紙を被ったりする。客席とスクリーンとが一体になった、「観客参加型エンターテインメント」なのである。

もしもう一度観たくなったり、一緒に歌いたくなったらファンの仲間入り。
ほぼ全曲歌いこなせたり、フランクをカリスマと崇めたり、「タイムワープ」のダンスをマスターできるようなら、立派な中毒者の仲間入りです。

2011年9月3日土曜日

探り探り始めてみました。

……もう本当にそうとしか言いようがないです。

私、片刃は映画とロックバカが高じて、批評(のようなもの)を書いていました。
大学時代には、部の冊子にまでライヴレポやら映画レビューやらを載せて頂いてました。

が、最近は専らTwitterで断片的に感想をつぶやくのみ。
それはそれで、その場で思いついたことを書き留められるので便利なのですが、
文字数の限界やまとまりのある文章にならないことに何となく危機感を覚えました。
もとより下降線をたどりつつある文章力が、さらに加速して低下したらさすがにまずい。
ついでに、良かった映画やライヴの記録もある程度留めておきたいし。

という訳で、文章リハビリとしてブログに手を出してみました。
とりあえず内容は、映画とロックの批評(のようなもの)と、ライヴレポに絞る予定です。
なお、私は基本的に「この作品/アーティストをお勧めしたい」という意図で書いています。

ちなみにmixiは、登録するだけしてほとんど手をつけていない幽霊状態。
このブログもいつまでもつか分かりませんが、続けられるだけ続けてみます。