2011年12月31日土曜日

レディー・ガガ/ボーン・ディス・ウェイ

2011年のヒト。
LADY GAGA
Born This Way ('11)



今さら言うまでもないが、2011年の代表格アーティストはこの方だろう。
チャリティ活動にしろ、来日にしろ、ファッションにしろ、音楽関連の受賞にしろ……とにかく有言実行のお方だ。しかも、期待値を遥かに上回る実行力だった。
とりわけ、この2ndアルバムに関しては、1st&ミニアルバムの成功をもろともしない完成度を達成してきた。

「人種や性がどうであれ自分を愛しなさい」(M2『Born This Way』より)なんて、今さら言われるまでもないメッセージのはず。
ただ、このメッセージをガガが発することが、重要なポイントだったように思える。
異形の姿でメインストリームど真ん中に堂々と立ち、批判もファンの多大な期待も堂々と受け止めるガガが、最高にキャッチーな音楽とPVでもってぶち上げたステイトメントだから、今さら感も説教臭さもなかったのではないだろうか。

「この運命のもとに生まれてきた」というタフなメッセージや、個人的な恋愛経験とキリスト教観を股にかけるアート(M4『Judas』)を提示するだけあって、全体的に1st『The Fame』よりもボーカルが逞しくなっている。正直、曲のバリエーションの幅は1stよりも狭いのだが、リズム感の良さとさらに洗練されたPVなどのアートワークのおかげだろうか、アルバム全体のインパクトは強かった。
ガガ様ご愛好の「キティちゃんのリボンヘア」的可愛らしさよりも、衝撃の「生肉ビキニ」の危険さと妙なカッコ良さに近いかもしれない。

唯一気がかりなのは、この成功によって、ガガの「次」へのプレッシャーがさらに重くなったこと。もちろん、聡いお方なので、次なる壁のこともとっくにお分かりになっているとは思う。
引き続き、「栄光の果て」で輝いていてほしいところだ。

ペイン/You Only Live Twice

偏屈(?)男、大いに遊ぶ。

PAIN
You Only Live Twice('11年)



ペインを実質ワンマンで動かしているのは、ピーター・テクレンというスウェーデンのアーティスト。
ピーターの写真を初めて見たのは、ペインの5thアルバム『Psalms Of Extinction』のジャケット写真だった。

問題のお写真はこちら↓

目つきの鋭い三白眼、きっちりとオールバックにした髪型、不機嫌そうに結ばれた口……
この写真から受けたピーターの印象は、「偏屈な賢人」だった。
しかし、ひとたびペインの曲を聴けば、偏屈どころか誰よりも柔軟な感覚の持ち主であることが分かる。

ピーター・テクレンは、もともとヒポクリシーというバンドでデスメタルをやっている。ペインではそれとは打って変わって、シンセサイザーを多用したキャッチーなロックンロールだ。ヒポクリシーの範囲ではできないことを思う存分やるプロジェクトとも考えられる。
近年は、シンセよりもギターが前に出たフィジカルなサウンドという印象だったが、このアルバムは久々に冷やかなシンセの音に覆われ、全体的にサイバー色が強くなっている。
それと同時に、スラッシュメタル、ロックンロール、ダンスビートなど、さまざまな音楽のテイストが取り込まれている。この引き出しの多さが、ピーターの柔軟性の表れといえる。
特に異色なのがM5「Dirty Woman」。リフはヘヴィな北欧ロックといった雰囲気だが、ボーカルがAC/DCのブライアン・ジョンソンを彷彿させる、渋い酒焼け風の声になっている。デスボイスもクリーンボイスもカッコ良く操るピーターだが、この手のボーカルには、ヒポクリシーでもペインでも今までお目にかかったことがない。
こうした音楽性の自由さがペインの魅力であり、ピーターがペインを続ける醍醐味なのかもしれない。

2011年12月29日木曜日

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル

聖杯? そんなものもあったっけ。

モンティ・パイソン・アンド・ホーリー・グレイル('74年)
監督:テリー・ギリアム&テリー・ジョーンズ
出演:グレアム・チャップマン、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、エリック・アイドル、テリー・ジョーンズ、マイケル・ペイリン




私がこの映画に出会ったのは、ヨーロッパのとある安いシネコンだった。
ついでにいえば、モンティ・パイソンとの出会いでもあった。

それはいまだかつてないほどの衝撃だった。
映画が終わったときには、スタンディングオベーションしたいほど感動していた。
「何て徹底的に色んな人をナメくさった映画なんだ!!!」と。

神の命を受けたイギリスの王アーサーは、従者と円卓の騎士たちとともに、聖杯探しの冒険に出る……
という話のはずなのだが、アーサー王も騎士たちも聖杯探求とは関係のないエピソードにばかり巻きこまれるので、話の本筋を見失いつつある。しまいには、「……そこで終わり!?」と責任者(誰だか知らないが)のもとに押しかけたくなるほど、唐突で強引な結末を迎える。
もちろんその間、元ネタとなったアーサー王伝説、ひいては英国人をバカにしきったギャグ満載。TVシリーズ『空飛ぶモンティ・パイソン』同様、農民から貴族様までコケにする。2011年現在も何かと揉めているご近所、フランスだってボロクソな描かれよう。
さらには、映画の始まりの始まり(本編が始まる前ですよ!)から終わりの終わり(フィルム/ディスクが止まるまでですよ!)まで、観ている人を徹頭徹尾バカにした小ネタを盛りに盛っている。

人によってはあまりにシュールすぎてついていけないかもしれないし、観客をナメた演出にイラっとするかもしれない。
逆に、このユーモアについていける人は、『空飛ぶモンティ・パイソン』や『ライフ・オブ・ブライアン』も観て、晴れてパイソニアンデビューできる……はず。

TVシリーズで各自さまざまなキャラクターを演じてきたパイソンズだが、この約1時間半の映画の中だけでも、1人が複数の役を受け持っている。
一番役の少ないグレアム・チャップマンでも、メインのアーサー王を含め3役。最多はマイケル・ペイリンの1人10役。テリーGとテリーJは、監督業も兼任している。
パイソンズを知っていれば、どのキャラクターが誰かはぱっと見て分かるが、中には「えっ、こいつって○○だったの!?」ってぐらい化けている場合もある。ある程度パイソンズに通じてきたら、改めてよーく見てみるのもまた楽しみである。

そんなメチャクチャ加減だが、実は時代考証はちゃんと考えられているらしい。(一部、意図的に時代考証がおかしくなっているところはあるが)
というのも、監督を務めたテリーJは、歴史学専攻であり、特に中世イギリスについては研究本も出しているほどの専門家。当時の衣装や生活状況などのディテールには割とうるさかったらしい。
これで全員ちゃんとした馬に乗っていれば……ねぇ。でも、結果的にはそれが笑いに効いたんだし、おかげで冒頭のアーサー王衝撃の登場シーンが生まれたんだから、むしろ良かった。

ちなみに、TVシリーズと同じ声優陣による日本語吹き替えも、相変わらず軽妙で聴きごたえあり。広川太一郎さんの「ちょんちょん」も聞けるし、アーサー王(グレアム・チャップマン)は山田康雄さんのおかげで、ときどき威厳が抜け落ちて世にも情けなくなる。
ただし、音楽の使用権利関係などで、吹き替え音声がない箇所があるのでご注意を。

あ、もしハマったら、この映画を基にしたミュージカル『スパマロット』もご覧になってはいかがでしょうか?
それが無理なら、お茶碗など活用して、「ココナツ乗馬法」の習得でも……。

ロッキー・ホラー・ショー@神奈川芸術劇場

フランク・N・古田新太。

リチャード・オブライエンズ・ロッキー・ホラー・ショー
2011.12.23. 神奈川芸術劇場
出演:古田新太、岡本健一、ROLLY

個人的に軽犯罪とみなしている駄洒落がサブタイトルになってしまったが……
出演者もファンも「フランク・フルター」と「古田新太」の名前の相似を指摘しているが……
本当にそういう表現が、今回の舞台にはぴったりだったと思う。古田さんは、フランクのキャラクターを完全に自分のものにしていた。映画版『ロッキー・ホラー・ショー』のティム・カリー(≒フランクそのもの)とはちがうようでいて、とてもフランクらしかった。

10月末の川崎ハロウィンのロッキー・ホラー上映会では仮装参加者が多数だったが、この日は受付近くでマジェンタを1人見かけただけで、思いのほか仮装がいなかった。当日の寒さを思えば仕方ないのかも。
場内では、メイド服風の衣装を纏ったお姉さんたちが、ポップコーンを売っている。買った人にはもれなく、お姉さんによる「こちらのお客様お買い上げでーす!! ありがとうございまーす!!」という大々的アピールと、周りの人の拍手がついてくる。
上映会のときよりはおとなしめの会場だが、やっぱりロッキー・ホラー特有のどこかぶっ飛んだ雰囲気は保たれているのだ。

ちなみに、神奈川芸術劇場の3階席は、ステージを見下ろすと武道館よりも急に感じる。
高所恐怖症の人はちょっと注意が必要かもしれません。

ロッキー・ホラーの上映会では、スクリーン前で有志のファンたちがキャラクターを演じるのがお約束。小道具があったりなかったり(あってもパイプ椅子で代用だったり)のチープ&ラフ感と、溢れかえるキャラクター愛(もちろん映画愛も)が魅力だ。
今回は本格的な舞台なので、セットも小道具ももちろんきっちり作られている。舞台背をスクリーン映像で演出するところもある。特に、後半の「物体転送装置」のくだりは、装置のセットが大々的に作られていたため、映画本編よりも筋の通った場面になっていた。
しかし、これだけ大がかりになっても、映画にあったチープ&ラフ感が保たれているのが良い。スクリーン映像のCGはどこか安っぽく描かれているし、ブラッドとジャネットが乗った車も2人がぎゅうぎゅうに詰まるほどの小さい(おそらく1人乗りの電気自動車)。大々的セットと上述した物体転送装置だって、昔のB級SF臭漂うローテク感丸出しデザイン。
B級エンターテインメントに関しては、安っぽさも魅力のうちである。

ところどころカットされたシーンがあったり(冒頭の結婚式シーンや、ロッキーをいじめるリフラフのシーンなど)、新しく付け加えられたシーンがあったりはしたものの、流れの妨げにはなっていないし、新しい演出を楽しめる余裕すらある。
当然、最大の魅力である音楽はカットされることなく順番通り。Rollyさん(エディ役で出演。エルヴィス風の出で立ちがアホかつ愛らしい)による和訳歌詞が、ぶっ飛んでいたり空耳っぽかったり、ロックファンがニヤリとする小ネタを挟んでいたりとこれまた楽しい。

最大の焦点はキャスト。全員キャラクター像を新しく築き上げつつ、オリジナルの「らしさ」はきっちりと踏まえているのだが、このクオリティが想像以上だった。
例えばロッキー。映画と違って喋るキャラクターだが、筋肉アピールと性欲中心に生きているあたりがロッキーたる所以。
個人的お気に入りであるリフラフも、映画より内股でカクカクした動きながら、本来のカッコよさはしっかり魅せてくれる。(元祖リフラフ、リチャード・オブライエンはもともとカッコいいのだとこの場を借りて主張したい)特に、「タイムワープ」でギターをかき鳴らす姿には感動すら覚える。映画版以上にフランクにボコられる姿も、かわいそうなような可笑しいような。
そして、古田新太さんのフランク! リフラフだけじゃなく、コロンビアやジャネットにも容赦なく全力パンチをお見舞いするほどバイオレントだが、そんな横暴ぶりすら素敵に見えてしまうフランクならではの魅力全開。しかも、ときどき可愛らしく見える。冷静に考えたらボンデージに網タイツのおっさんだというのに。(それはティム・カリーも同じか)
キャラクター1人1人に愛着を持ってしまうというロッキー・ホラーの楽しみが、ここでも完璧に再現されたのは、やはり嬉しい限りだ。

お楽しみは舞台本編が終わったあとも続く。
キャスト全員登場のあと、「時間と財力があったらまた観に来て」とフランク古田。しかし、客席を見渡して「時間はあっても財力はなさそうね」と、毒と笑いの一蹴。(でも確かにその通り)
「だったら今日めいっぱい楽しみなさい!」との声に、客席全員が立ちあがる。ロッキー・ホラー・ショーで立ちあがったとしたら、やることは1つ。「タイムワープ」のダンスである! もちろん、川崎ハロウィンで覚えたばかりの私も、座席範囲の許す限り踊りましたとも。そのあとも、ハンドクラップや雄叫びが飛び交い、ステージ上のダンスは続き、Rollyさんはサックス型ギターで「ジングルベル」を爪弾き……神奈川芸術劇場は、もはやライヴハウスの様相だった。
ようやく現実世界に帰って来たのは、3度のカーテンコールののち、フランク古田がロックスターよろしく口に含んだ水をぷーっと吹き散らしてから退場し、場内アナウンスが流れはじめたときだった。

キャストもスタッフも、ロッキー・ホラー・ショーファンが集って制作したといわれる今回の舞台。
その文句に違わず、キャストの全身から、舞台の隅々から、そして音楽から、ロッキー・ホラー愛がビシバシと伝わってきたのだった。

2011年12月10日土曜日

アタリ・ティーンエイジ・ライオット@恵比寿リキッドルーム

アクションを起こせ。ライヴでも、社会でも。

ATARI TEENAGE RIOT
2011.11.17. 恵比寿リキッドルーム

フジ・ロック'11最終日。観たい観たいと言いながら、諸事情によりレッドマーキーに辿り着いたのは終演15分前。
そのときできることといったら、15分で1時間分踊り狂うことと、「あとで単独来日してくれよ……」と節に願うことだけだった。
この体力的&一部精神的な消耗が報われたと知ったのは、約2ヵ月後にCD店でアタリ・ティーンエイジ・ライオット11月来日公演のフライヤーを手にしたときだった。

オープニング・アクトは9mm Parabellum Bullet。なぜエレクトロニック系/政治的・社会的メッセージ濃厚なアタリに、生音ハードコアな9mmというジョイントなのかと思ったら、彼らがライヴのオープニングで必ずアタリの「Digital Hardcore」をかけているかららしい。また、特に滝(G)と中村(B)はアタリの大ファンらしい。さらに、韓国のフェスでアタリと会い、対バンの約束を交わしたという背景も菅原(Vo./G)が明かしてくれた。憧れのバンドとジョイントライヴ……音楽オタク憧れのシチュエーションである。
菅原いわく、「ウォームアップじゃぬるいし、ヒートアップじゃヒートテックみたいだし、バーニングアップで」。その言葉に違わず、ロックンロールも歌謡曲ばりのメロディも、ゴリゴリにハードな音でかき鳴らし、フロアが熱を帯びていた。滝に至っては、ときどきギターそっちのけで暴れ出していたが、こういうバカかってぐらいのエネルギー、個人的には大好物である。

9mmがバーニングアップなら、アタリは灰すら残さないぐらい燃え尽きる勢いだった。開始直前ぐらいからフロアの人口密度と温度が上昇していたのだが、最新作『Is This Hyperreal?』のトップを飾る「Activate!」でステージが幕を開けた瞬間、フロアは突然サウナと化した。1000人近い人々が一斉に踊り狂い、一部の人はアタリのフラッグやステイトメントを書いたプラカードを掲げ、アレック・エンパイア(Vo./Programming)、ニック・エンドー(Vo./Noise)、CX・キッドトロニック(MC)と共にシャウトするのだから、熱くなるのも当然か。汗だくになるペースが予想以上に早く、わずか2曲目で体力が持つかどうか怪しく思えた。
……だというのに、アタリの面々のエネルギッシュなこと! どれほど時間が経過しても、疲れた様子がカケラも見えない。ちょっとオーディエンスがヘタっていると、アレックがガンガン煽ってくる。サウンドもぶっとく容赦なくガンガン鳴り響いていて、実はノイズの衝撃でフロアの壁に亀裂が入ってるんじゃないかとさえ感じる。
これほどのパワーがあるからこそ、「Are you ready to testify?」(証言する覚悟はいいか?)「How much blood will it take!?」(どれだけ血を流せばいいんだ!?)といった叫びが、恐ろしいほどリアルにぶつかってくるのかもしれない。そしてオーディエンスも、同じ叫びをぶつけかえすパワーを引き出されているのかもしれない。

フジのステージでは「今日本に行くのは危険だっていうけど、今こそ日本でプレイするときじゃないか」と叫んでいたアレックだが、今回は明確なステイトメントを語ることはなかった。
しいていうなら、オーディエンスが持っていた「ANTI 原発 RIOT」(裏面は『原発反対! 責任トレ!』)のプラカードを受け取って高々と掲げたことが、自らの姿勢の表明だろうか。声明文を読み上げるような「Is This Hyperreal?」の詩を叫ぶ姿も、新旧のファンを前に、改めてバンドのステイトメントをぶち上げているように見えた。
しかし、アレックがここまで言い切って/やり切っているにも関わらず、悪化の一途を辿っている現状では、アタリに合わせる顔がないように思える。オーディエンスがどの程度原発に否定的なのかは分からないが、「今のままじゃヤバいんだ!」というパワーに突き動かされて拳を振り上げていた人は多いんじゃないだろうか。

メタルを彷彿させるノリと性急なビートの「Speed」で本編が終了したかと思いきや、ほどなくしてメンバーがステージに戻り、ほぼ燃え尽きたかに見えたオーディエンスを「Start the Riot」で再燃させる。最後の「Revolution Action」は、前述した「今のままじゃヤバい」パワーをオーディエンスが出しきった最骨頂だろう。
曲が終わってなお、アタリは延々サウンドをぐわんぐわんと響かせ、リキッドルームをノイズの洪水で呑み込んだ。オーディエンスの大半は、ノイズに呼応するように拳を掲げ続けていた。この音の波が何分間続いていたのかは分からない。終わりがないようにさえ感じられるほどだった。
轟音が消えてフロアの照明がつくころには、ニックとCXはステージを去っていたが、アレックはしばらく残って握手をしたり手を振ったりしていた。アレックの姿はアルバムアートワークや雑誌の写真で知っていたものの、明るいところで比較的近くから見ると、改めて「普通の好男子」だと思う。ただ、人混みに紛れたら分からなさそうなこの普通の男のメッセージが、世界を揺さぶり続けているのだ。

90年代にアタリが作ったサウンドは今でも生きている。普遍的にカッコいいことは単純に素晴らしいと思う。
その一方で、アタリが発したメッセージが今でも効力を発揮しているということは、世界の政治的・社会的変革はまだまだ進んでいないし、提起された問題もまだ解決していないと言われているようで、どこか歯がゆい気持ちにもなるのだった。

ライヴを締めくくった「Revolution Action」のPV。↓