2012年3月21日水曜日

ジーザス・クライスト・スーパースター(1970)

ジーザス・クライスト・ロックスター。
ANDREW LLOYD WEBBER
Jesus Christ Superstar('70年)



「イエス・キリストは一番最初に出現したロック・スターっていうふうに見ることもできる」とは、人生の師匠(と勝手に決めている)マリリン・マンソンの言葉。この記事を読んだときは、「面白い見解です!」と師匠に感心してましたが……。
実は、約30年前にそう考えていた人がいたんですね。作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーと、作詞家ティム・ライスが。しかも、その思想でロック・ミュージカルをつくっていたんですね。まぁ、上記の発言が師匠のオリジナルじゃなかったからって、敬意は揺らがないけど。

このミュージカルに関しては、日本語でもイエス・キリストを「ジーザス・クライスト」と呼称しているので、ここでも以降の表記を「ジーザス・クライスト」とする。

描かれるのは、ジーザス・クライスト最期の7日間。エルサレムに入ったジーザスは、ユダヤ教の司祭たちから「民衆を扇動する危険人物」としてマークされる。やがて使徒の1人イスカリオテのユダの密告によりローマ兵に捕えられ、ローマ総督ピラトのもと裁判にかけられ、磔刑となる。
作詞家ティム・ライスは、聖書をちょこっとでも読んだ人ならたいてい知っているエピソードを、おもにジーザスとユダを通して掘り下げていった。

ジーザスというと、少ないはずのパンと魚を多くの人々に分け与えたり、触れるだけで病人を癒したり死者を蘇らせたりといった奇跡の話が有名である。
しかし、ここではペテロの離反とユダの裏切り、自らの死を予見する以外、奇跡を起こす描写はない。人々に教えを説く描写も少ない。

M9(Disc1)「The Temple」では自分に群がる病人たちに「自分で治せ!!」と言い放ち、M2(Disc2)「Gethsemane (I Only Want To Say)」では神に「私の死は本当に無駄ではないのか? なぜ私に死んでほしいんだ?」と悲痛な叫びをあげる。一方で、マグダラのマリアには、母親か恋人に対するような信頼と安心感を寄せている。

人間的というにしても、ここで描かれているジーザスの人間性は、未熟で弱い。だからこそその姿は、オーディエンスの思いを背負ってステージに立つことに苦悩し、覚悟を決めるロックスターのように映るのである。


ユダは一般的に「裏切り者」だが、キリスト教の思想の中には、ユダは裏切り者どころかもっとも忠実な使徒、もしくは親友であったという解釈もある。ティムの解釈も後者に近い。
ユダは、ジーザスを救世主ではなくただの人間とみなし、彼の影響力が強まるほど司祭や民衆の怒りを買うだろうと危惧する(M2(Disc1)「Heaven On Their Minds」)。その思いから、ジーザスと彼を取り巻く人々の目を覚まさせるため、わざと司祭たちにジーザスを引き渡すが、彼が弁解もせずに磔刑への道を進むのを見て、自分の行いに耐えられなくなる。救世主に祭り上げられていくジーザスの苦悩と並行して、ジーザスを守りたいがためのユダの苦悩も描かれているのだ。

ジーザスより先に死んだはずのユダだが、この物語でもっとも有名な曲M9(Disc2)「Superstar」で、磔刑前のジーザスに「あなたは何者なんだ?」と語りかけている。この曲の歌詞は、キリストという存在に対する宗派を超えた疑問といえるだろう。


本サントラのキモは、何といってもジーザスのパートをディープ・パープルのイアン・ギラン=本当のロックスターが歌っていることだ。突き刺さるようなハイトーンに、ジーザスの感情の高ぶりが乗り移っている。特に「Gethsemane (I Only Want To Say)」など、人間的なジーザスが描かれているはずなのに、神々しささえ感じられる。
一方、ユダのパートを歌うマーレイ・ヘッドはソウルフルな歌声だが、M7(Disc2)「Judas' Death」の悲痛さが最骨頂に達したときのハイトーンも美しい。
マイク・ダボが歌う、名ばかりの王ヘロデのM6(Disc2)「King Herod's Song (Try It And See)」も推したい。コミカルでありながら、王の独裁ぶりがうかがえる。
キャストの中でも、マグダラのマリアを歌うイヴォンヌ・エリマンは、アンドリューをして「理想のマリア」と言わせしめている。ティムの描くマリアは、マグダラのマリア、ベタニアのマリア、キリストの母マリアそれぞれの性格を併せ持っているのだが、イヴォンヌの声にはジーザスに対する優しさも、彼に対する複雑な思いも柔らかくこめられていた。

『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、もともとサウンドトラックのみの作品として作られていた。その後各国で何度も舞台化され、サントラも作られ、映画化もされた。(もっとも、'73年にノーマン・ジュイソン監督が映画化したバージョンは、アンドリューに不評のようだが)もちろん、演出や俳優/シンガーによって、登場人物の性格は微妙に異なってくる。
本作は1つの完成形ではあるが、まだ始まりにすぎなかったのだろう。

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