2012年3月31日土曜日

マーダー・ライド・ショー

殺人屋敷へアドベンチャーに行こう。

マーダー・ライド・ショー('03年)
監督:ロブ・ゾンビ
出演:シド・ヘイグ、ビル・モーズリィ



ロブ・ゾンビ。実はベジタリアン。……って、名が体を表わしてないじゃん。
でも、音楽とアートワークを見れば、真性ホラーオタクって点で体を表わしていることは丸分かり。
映画にもなると、もういいってぐらいさらに表れまくっております。

ハロウィン前夜。たまたま田舎町を車で通りかかった若者たちが、たまたま怪しい見世物小屋に立ちよって伝説の殺人鬼ドクター・サタンの話を聞き、好奇心から車を走らせて、うっかり美人ヒッチハイカーを拾ったが最後。誰かに車をパンクさせられるわ、不気味な一家につきあわされるわ、しかも一家の正体が殺人鬼だわで、次々と殺されていく……って、どっかで見たような。
そう、話の大筋(特に導入)は、『悪魔のいけにえ』とほぼ同じ。ただし、色彩鮮やかな画面、カラリとした空気、ブラックユーモアは『悪魔のいけにえ2』に近い。狂気じみているのに、いつも明るくにぎやかで、ケンカするほど仲が良い殺人一家も、『いけにえ』のソーヤー一家と一緒。
レザーフェイスみたいな分かりやすい大型殺人鬼こそいないが(この一家の末っ子タイニーはマスク被った巨人だけど、あまり殺人に加担していない)、一番凶悪でマッドな芸術家肌の司令塔オーティス、セクシーで可愛くて残虐なベイビー(実は監督の嫁さん)、男好きっぽいママ、下品なグランパなど、個々の家族のキャラが立っている。ちなみに、ポスターやジャケットのトップを飾っているピエロ=キャプテン・スポールディングは、殺人鬼というより殺人ショーの案内人。
ゾンビ監督の『いけにえ』大好きパワーがよーくうかがえる設定だ。

このほか、スラッシャー映画でお約束の「犠牲者はチアリーダー」ネタもあり、警察はやって来ても役に立ってくれないネタもあり、しまいにはゾンビ(っぽいもの)、マッドサイエンティスト、ロボトミー、改造人間、死骸の山、儀式まで絡んでくる。ついでに、『ロッキー・ホラー・ショー』を彷彿とさせるやりとりも入っている。いろいろ詰め込み過ぎて、どこに向かいたいのかよく分からなくなりそうだが、その手の映画マニアにしてみればお腹いっぱいになれるフルコースだろう。カニバリズムは入ってないけど。

殺人と拷問が趣味、というよりもはや生活習慣の一家なので、それなりにサディスティックでエグいところはある。ただ、前述の通り比較的カラリとしているので、ゴア描写もさっくり、というかざっくり、あるいはばっさり、ぐっさり程度。そんなにドロドログシャグシャはしていないので、そこそこホラー慣れしている人なら余裕を持って観ていられそう。
犠牲者の若者たちも、大してカッコ良くも可愛くもなく、適度にウザったくと、あまり感情移入させない描かれ方で、監督の「死んでもあとくされなし」狙いがうかがえる。
『マーダー・ライド・ショー』という邦題の通り、この映画そのものがアトラクションなのだ。映画の前半、若者たちがキャプテン・スポールディングのホラーハウスで殺人鬼ツアーに行ったように、観ているこちらもイベント感覚で殺人一家の世界を巡る。そういう意味では、スポールディングは我々観客にとっての案内人でもあるようだ。

監督がもともとミュージシャンなだけあって、音楽の使い方は絶妙。ゾンビ作曲のいかがわしげなロックはもちろん、殺人シーンでコモドーズのファンクなんか流された日には、うっかり恐怖を忘れてカッコ良さが先走ってしまう。特に保安官殺しのシーンは、古風なポップスと計算されつくしたスローモーションのおかげで、凶悪なサイコのはずのオーティスがヒーローのようなオーラを発している。
ときおり挟まれる、あまり意味のないサイケデリックなイメージ映像も、ロブ・ゾンビのPVを彷彿させる。そこが少々くどくなることもあるのが難だが。

ホラー好きが、そのまた一部のホラー好きのために作ったような映画なので、ファンへの門は結構狭い。その狭いゲートをうまいことくぐってしまうと、監督とハイタッチした気分になれそうだ。
ただ、うっかり映画の中の若者よろしく「ロブ・ゾンビ最高!! ひゃっほー!!」なノリではしゃいでると、彼らとは違った意味でもう後戻りできなくなる……かもしれない。

2012年3月21日水曜日

ジーザス・クライスト・スーパースター(1970)

ジーザス・クライスト・ロックスター。
ANDREW LLOYD WEBBER
Jesus Christ Superstar('70年)



「イエス・キリストは一番最初に出現したロック・スターっていうふうに見ることもできる」とは、人生の師匠(と独断する)マリリン・マンソンの言葉。この記事を読んだときは、「面白い見解です!」と師匠に感心してましたが……。
実は、約30年前にそう考えていた人がいたんですね。作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーと、作詞家ティム・ライスが。しかも、その思想でロック・ミュージカルをつくっていたんですね。まぁ、上記の発言が師匠のオリジナルじゃなかったからって、敬意は揺らがないけど。

このミュージカルに関しては、日本語でもイエス・キリストを「ジーザス・クライスト」と呼称しているので、ここでも以降の表記を「ジーザス・クライスト」とする。

描かれるのは、ジーザス・クライスト最期の7日間。エルサレムに入ったジーザスは、ユダヤ教の司祭たちから「民衆を扇動する危険人物」としてマークされる。やがて使徒の1人イスカリオテのユダの密告によりローマ兵に捕えられ、ローマ総督ピラトのもと裁判にかけられ、磔刑となる。
作詞家ティム・ライスは、聖書をちょこっとでも読んだ人ならたいてい知っているエピソードを、おもにジーザスとユダを通して掘り下げていった。

ジーザスというと、少ないはずのパンと魚を多くの人々に分け与えたり、触れるだけで病人を癒したり死者を蘇らせたりといった奇跡の話が有名である。しかし、ここではペテロの離反とユダの裏切り、自らの死を予見する以外、奇跡を起こす描写はない。人々に教えを説く描写も少ない。
M9(Disc1)「The Temple」では自分に群がる病人たちに「自分で治せ!!」と言い放ち、M2(Disc2)「Gethsemane (I Only Want To Say)」では神に「私の死は本当に無駄ではないのか? なぜ私に死んでほしいんだ?」と悲痛な叫びをあげる。一方で、マグダラのマリアには、母親か恋人に対するような信頼と安心感を寄せている。
人間的というにしても、ここで描かれているジーザスの人間性は、未熟で弱い。だからこそその姿は、オーディエンスの思いを背負ってステージに立つことに苦悩し、覚悟を決めるロックスターのように映るのである。

ユダは一般的に「裏切り者」だが、キリスト教の思想の中には、ユダは裏切り者どころかもっとも忠実な使徒、もしくは親友であったという解釈もある。ティムの解釈も後者に近い。
ユダは、ジーザスを救世主ではなくただの人間とみなし、彼の影響力が強まるほど司祭や民衆の怒りを買うだろうと危惧する(M2(Disc1)「Heaven On Their Minds」)。その思いから、ジーザスと彼を取り巻く人々の目を覚まさせるため、わざと司祭たちにジーザスを引き渡すが、彼が弁解もせずに磔刑への道を進むのを見て、自分の行いに耐えられなくなる。救世主に祭り上げられていくジーザスの苦悩と並行して、ジーザスを守りたいがためのユダの苦悩も描かれているのだ。
ジーザスより先に死んだはずのユダだが、この物語でもっとも有名な曲M9(Disc2)「Superstar」で、磔刑前のジーザスに「あなたは何者なんだ?」と語りかけている。この曲の歌詞は、キリストという存在に対する宗派を超えた疑問といえるだろう。

本サントラのキモは、何といってもジーザスのパートをディープ・パープルのイアン・ギラン=本当のロックスターが歌っていることだ。突き刺さるようなハイトーンに、ジーザスの感情の高ぶりが乗り移っている。特に「Gethsemane (I Only Want To Say)」など、人間的なジーザスが描かれているはずなのに、神々しささえ感じられる。一方、ユダのパートを歌うマーレイ・ヘッドはソウルフルな歌声だが、M7(Disc2)「Judas' Death」の悲痛さが最骨頂に達したときのハイトーンも美しい。マイク・ダボが歌う、名ばかりの王ヘロデのM6(Disc2)「King Herod's Song (Try It And See)」も推したい。コミカルでありながら、王の独裁ぶりがうかがえる。
キャストの中でも、マグダラのマリアを歌うイヴォンヌ・エリマンは、アンドリューをして「理想のマリア」と言わせしめている。ティムの描くマリアは、マグダラのマリア、ベタニアのマリア、キリストの母マリアそれぞれの性格を併せ持っているのだが、イヴォンヌの声にはジーザスに対する優しさも、彼に対する複雑な思いも柔らかくこめられていた。

『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、もともとサウンドトラックのみの作品として作られていた。その後各国で何度も舞台化され、サントラも作られ、映画化もされた。(もっとも、'73年にノーマン・ジュイソン監督が映画化したバージョンは、アンドリューに不評のようだが)もちろん、演出や俳優/シンガーによって、登場人物の性格は微妙に異なってくる。
本作は1つの完成形ではあるが、まだ始まりにすぎなかったのだろう。

2012年3月20日火曜日

コーンバグズ/Rest Home For Robots

「音楽はオレの人生だ!」(いや、ホントに。)

CORNBUGS
Rest Home For Robots('05)




俳優があまりにもインパクトの強い役を演じると、たいていそのイメージから脱却するのに苦労する。インパクトの強い悪役となるとなおさらである。一時期のゲイリー・オールドマンなんか、『レオン』のスタンフィールド刑事のイメージが強くて、色んなところでブチギレ系の悪役やってたもんなぁ。
そんな中……インパクトの強い悪役から、こんなに脱却する気のない人に出会ったのは初めてです。ビル・モーズリィ。

奴の名はチョップトップ。『悪魔のいけにえ2』で、ギャーギャーわめいたりケタケタ笑ったりしながら、人を殺したり追い詰めたりしていたサイコ男。頭からむき出しになったプレート(ベトナム戦争で負傷した痕跡らしい)の周りの皮膚/肉を、炙ったハンガーでカリカリしながらつまみ食いする癖も猟奇的。そのくせ、音楽好きだったり、ふざけすぎて長男に怒られてたり、ほかの兄弟同様グランパ大好きだったり、「やんちゃ」で済まされてしまいそうな可愛げまで持ち合わせている。(賛否というか、否のほうが多そうですが)
一応、『2』のラストで倒されてはいるものの、死んだかどうかは定かではない。死んだとみなされていたり、その後逮捕されて精神病院に幽閉されたという設定もあったが、未公開に終わっている。
そういうわけで詳細は不明だが、とりあえず奴は生きていた。しかも、新しく仲間を作っていた。
そして……1999年にコーンバクズとしてCDデビューしていたのである。

いくら一部で人気キャラとはいえ、『2』から13年越しでチョップトップを表舞台に出したところで、大した意味はない。ファンはもちろん喜ぶけど、それ以外で誰かが得するわけでもない。
おそらく、チョップトップを演じたビル・モーズリィ自身、チョップトップが大好きなのだろう。実際、ビルのオフィシャルサイト、マイスペース、ツイッターユーザー名はチョップトップ名義である。
なおかつ、ビルとタッグを組んだギタリスト、バケットヘッドも、チョップトップが好きだからこそこのプロジェクトを動かしたのだろう。バケットヘッドは、ケンタッキーのパーティーバーレル頭にのっけて白マスク被った正体不明ギタリストだから、チョップトップと一緒にいても違和感ないし。

本作は1999~2001年までの曲を集めてリマスターした盤。CDは現在だいぶ高値なので、ダウンロードのほうが入手しやすいようだ。
見た目はイロモノ/腕は技巧派なバケットヘッドのリフと、ピンチフェイスのドラムが音楽の基盤。このギターリフがいかにもカッコいいロックで、しかもキャッチー。シンプルにして妖しげなリフの「In A Gadda Da Vida」(Iron Butterfly!!)好きなチョップトップのレーダーにも引っ掛かりそう。
そこに、ビルが安っぽいホラー的な歌詞をがなりたてて乗っける。いかにもチョップトップがその場で楽しく適当に歌っちゃったようなノリで、相手がサイコ野郎ということを忘れて微笑ましくなってしまう。(実際、曲はほとんど即興でつくられていたらしい)
短いM6「Ed Gein」で、「エド・ゲイン(『悪魔のいけにえ』のモデルとされる殺人鬼)はよく俺と間違われるんだよ」とブラックジョークを飛ばし、気色悪くエヘヘヘヘと笑うところも、いかにもチョップトップ。M8「Pigs Are People Too」では「弟ババ」(=レザーフェイス)に言及するところもあり、いけにえファンをニヤリとさせる。
お遊び色の強さがリスナーを選ぶところだが、そもそもボーカルが知る人ぞ知るチョップトップという時点で、どういったリスナーをターゲットにしているのかよく分かるので問題ないだろう。

『2』で「Music is my life!」という名言を残しているチョップトップ。曲を聴いたりレコード集めたりするのみならず、ミュージシャン活動までしてしまって、さぞかしはしゃいでいるに違いない。
その活躍はファンにとっても喜ばしいことだろう。「好きが高じてバンドデビュー」って、ちょっとした夢のシナリオだしね。

残念ながら、コーンバグズは2007年に解散。現在、ビルはスパイダー・マウンテンというユニットで音楽活動をしているが、チョップトップを名乗ってはいない。
ただし、上記したビル関連のWebページは相変わらずチョップトップ。そこはやっぱり譲らないらしい。今年か来年に公開される『Texas Chainsaw Massacre 3D』ではドレイトン・ソーヤー(オリジナルでいうところのコックの長男だが、まったく同じキャラクターかは不明)役だが、ファンにとっても自身にとっても、ビル・モーズリィは永遠のチョップトップなのだろう。

オフィシャルPVがないので、個人的お気に入り曲「Spot the Psycho」(音源のみ)を貼っておきます。

2012年3月15日木曜日

悪魔のいけにえ2

電ノコお笑い劇場(殺戮もあるよ)。

悪魔のいけにえ2('86)
監督:トビー・フーパー
出演:デニス・ホッパー、キャロライン・ウィリアムズ



「そこそこ話を押し広げてつまらない続編になるぐらいなら、オレ自身の手で潔く葬ってやる! 
いっそのこと『すごく怖い映画』ってイメージもぶっ壊してやる!!
突っ走れ! リブ・フリーキー&ダイ・フリーキー!!!」
……と、トビー・フーパーが言ったかどうかは知りませんが。
いや絶対に言ってないですが。

前回の事件から13年後。ラジオ局の女性DJストレッチは、番組に電話をかけてきた若者たちが、チェーンソーで惨殺される瞬間の音声を偶然耳にしてしまう。一方、13年前レザーフェイス一家に甥を殺された元レンジャーのレフティは、この事件に一家の痕跡をかぎつけ、単身捜査に乗り出す。
新聞でレフティのことを知ったストレッチは、証拠として殺人を録音したテープを提出し、レフティの希望に沿ってテープをラジオで公開放送する。そこへ、事件の痕跡を揉み消そうと、レザーフェイスらが彼女のもとへと乗り込んできた。

スプラッター映画の続編のお約束として「残虐度アップ」があるが、そちらは『ゾンビ』の特殊メイクでおなじみトム・サヴィーニ先生が腕をふるってくれたおかげで踏襲。かなりぶっ飛んだ状況下でのゴア描写なので、「そんなアホな」的笑いも含んでいるが、スプラッタ苦手な方には結構エグいだろう。
逆に、前作を覆っていた不快な空気はすっかり薄れ、グロさも不気味さも実にカラリとしている。BGMも、前回の不協和音から一転、ラジオから流れる陽気なロックである。
しかし、まさか残虐度のみならず、「お笑い度」と「ファミリー度」までアップして帰ってくるとは……。
さらに、ラブストーリー(200%片思い)まで突然始まってしまうとは……。

食肉処理場、死体インテリア、地獄の晩餐、チェーンソーダンスなど、前作をなぞったシーンも多々あるが、ブラックな笑いと明るいライティングのため、パロディのようになっている。
また、2作目ともなると、登場の際、畏怖の念よりも「待ってましたーー!!」感が強まってしまうのがホラーアイコンの性。監督がそのへんを意識したのかは分からないが、レザーフェイスは格段にコミカルになっている。ミイラ(前作で他界した兄ヒッチハイカー)と二人羽織りするわ、チェーンソーで突撃する前に必ず謎の腰振りダンスが入るわ、ある意味芸達者になり、こちらもパロディ感満載。
今回はレザーフェイスだけでなく、デニス・ホッパー演じるレフティも、「チェーンソー持ったアブナイ奴」として登場する。殺人一家に立ち向かうため、なぜか武器としてチェーンソーを選択。甥の復讐とばかりに、一家のアジトを破壊し、しまいにはレザーフェイスとチェーンソーチャンバラを繰り広げる。ヒーローというよりバイオレントなお笑い担当だが、本来法の側にいたはずの人間が身も蓋もない破壊魔と化しているあたり、かなり狂気じみている。しかも、ヒロインを救うよりも、より悲惨な状況に突き落としていることが多い。「しょうがないですよ! 暴れん坊デニス・ホッパーだもの!!」という映画マニア限定の免罪符は一応有効かもしれないが……。

今回初めて名字が「ソーヤー」と判明した殺人一家。前作で次男のヒッチハイカー(本名チャーリー)がお亡くなりになり、さぞかし団欒(?)風景は静かになってしまっただろうと思ったら、実はますます賑やかになっていた。
その最たる原因は、ヒッチハイカーの双子の弟チョップトップ。音楽大好きで、やかましさはファミリーいち。頭に鉄のプレート(なぜか一部むき出し)がはまっていて、周りの皮脂をつまみ食いしてしまう悪癖あり。ヒッチハイカーのリアルな狂気と比べると、だいぶマンガ的なヤバい奴だが、コミックリリーフと化したレザーフェイスの脇にいると映えるキャラだ。ちなみに、兄ヒッチハイカーはミイラと化して登場。ほとんどパペット扱いだが、あれはあれで家族に大切にされているらしい。
そんな弟たちに相変わらず振り回されている、食肉卸業者兼コックの長男(本名ドレイトン)。実は州のチリコンテストで最優秀賞を獲るほどの腕前。零細企業の苦労、家族を養う苦労をボヤく姿には哀愁が漂うが、食材の仕入れ元に関する倫理感はやっぱりズレズレ。
そして、相変わらず家族みんなに愛されているグランパ(実は祖父ではなく父)は、御歳137歳と判明。その割に、前作より血色が良く、若干アグレッシブで、「ハンマー技」も再披露。
なお、レザーフェイスの本名はババ・ソーヤー。コミカルさといい気の弱い末っ子ぶりといい、「ババちゃん」という呼び名が似合ってしまいそうだが、呼んでもぶった切られること請け合いだ。

まず間違いなく今回の「マジですか!?」設定ナンバー1は、「ストレッチに恋するレザーフェイス」である。どうでもいいけど、絶対にあれは初恋である。
もともとオリジナルの『悪魔のいけにえ』で、お兄ちゃんに怒られてオドオドしたりグランパ大好きだったり、実はピュアな本質を見せていたわけだが、今回は思春期真っ只中のピュアさ加減が炸裂。ついでに、思春期の男子的なチェーンソー下ネタも付いてくる。ただしプロポーズは血なまぐさい。
彼女が好き/でも我が家じゃ人間は食材……の葛藤に苦しむレザーフェイスは、うっかりすると見ていて何とも切なくなってしまう。もちろん、ストレッチは恐怖でそれどころじゃないので、どう見ても思いは一方通行にしかならない。ある意味、そこいらのドラマ以上の悲恋である。

何せ、もとの映画が極めて完成度の高いホラー映画なだけに、いくら映画会社が儲けを見込んで続編(あわよくばシリーズ化)を進めたって、なかなかあれを超えるものは出来ない。それならいっそセルフパロディにしてしまおうというフーパー監督の方針は、当然前作のファンの失望を買う。
しかし、この思い切りの良さと、各キャラクターのぶつかり合いで引き出される奇妙な魅力のおかげで、オリジナルとは別物の面白さが生まれたこともまた事実である。

2012年3月12日月曜日

マリリン・マンソン@新木場スタジオコースト

アンチクライスト・エンターティナー。

MARILYN MANSON
2012.03.10. 新木場スタジオコースト

セットリスト:
1. Antichrist Superstar
2. Disposable Teens
3. The Love Song
4. Little Horn
5. The Dope Show
6. Rock Is Dead
7. Tourniquet
8. Personal Jesus
9. mOBSCENE
10. Sweet Dreams
11. Irresponsible Hate Anthem
12. 1996
13. The Beautiful People

長年大好きで、しまいには勝手に師と仰いでいるアーティストに対してだって、今回のライヴ今一つじゃないかな……と思うときがある。
しかし、「ライヴどうだった?」と聞かれると、欠陥があったことを理解しながらもそれを差し置いて、心の底から「最高っす!!!」という感想が真っ先にやってきてしまう。
ムダに熱いファン精神の成せる業なのか、アーティスト自身の魔力なのか。

土曜ということもあって、チケットソールドアウトのスタジオコースト。開演前の緊張感がかすかに漂うフロアは割とぎゅうぎゅう詰め。そんな中、開演とおぼしき「The Beautiful People」のリフのアレンジのようなSEが響くと、オーディエンスが大挙してステージへ押し寄せ、冷たい外気に反して熱気がもわわわとたちこめる。
ステージを覆っていた黒幕が落ちると、40を過ぎて年々丸みが出つつも見まごうことなき長身シルエットが、スモークの奥から出現した。そういえば、最近やたらステージに幕を張る割に、ステージセットが地味っていうのは禁句か?
マンソンにしては珍しく、いつもは本編終了やアンコールに持ってくる「Antichrist Superstar」がライヴの幕開けだった。のっけからお約束のレスポンスも、お約束関係なしのシャウトもぶっちぎりレベルのオーディエンスのハイ・ボルテージぶりを見て、「昨日もここでライヴやったけど、今日の客は世界一最高だ」とのたまうマンソン。PAバランスやバンドのコンディション以上に、本人の機嫌がいかがなものか毎回ヒヤヒヤさせられるマンソンのライヴだが、幸い本日は大変ご機嫌麗しい模様だ。

もはや毎年のようにメンバーが入れ替わるマンソン・バンド。現在の布陣はマンソン以下、右腕にして盟友トゥイギー・ラミレズ(G)、トゥイギーとはサイド・プロジェクト仲間のフレッド・サブラン(B)、サウンドガーデンのバックを務めたこともあるジェイソン・サッター(Dr)。トゥイギーは2001年以来の薄汚れた白ワンピース姿で、オープニングだけなぜかマイケル・マイヤーズ(映画『ハロウィン』の殺人鬼)のようなマスクを着用していた。
前任者クリス・ヴレナの脱退に伴い、現在ライヴにはキーボーディスト不在となっているらしい。キーボードの音はサンプリングで補われていたものの、いかんせん音が細かった。
その分リズム隊が健闘しているので、基盤はぶっとく安定しているのだが、バンド全体のコンディションが芳しいかというとそうでもない。例えば、トゥイギーのハウリングすれすれなギター・プレイは面白いといえば面白いのだが、決して技巧派のギタリストではないので、人によっては聴き心地が良くないかもしれない。それは仕方ないとしても、マンソンに至っては、しょっちゅう歌い方がぐだぐだになったり、歌詞をすっ飛ばしたりする。声が思うように出ないのか、はたまた単に雑なだけなのか。個人的には、後者の疑惑のほうが濃厚なのだが。

そんな調子でも、久しくライヴでお目にかかっていなかった曲が入ると、自然と嬉しくなるもの。「Little Horn」や、デペッシュ・モードのカヴァー「Personal Jesus」然り。トゥイギー脱退期の『The Golden Age Of Grotesque』から「mOBSCENE」がチョイスされたのも珍しい。サプライズというほどではないにしても、ファンとしては盛り上がる。
その辺りを除いては、セットリストのほとんどは『Antichrist Superstar』『Mechanical Animals』『Holy Wood』の三部作から。現時点の最新作である09年の『The High End Of Low』からは1曲も演奏されず、来日公演前日に発表された、新作収録予定の新曲もなし。今のところは「グレイテスト・ヒッツ」選曲のようだ。

欠点の目立つ音楽面をカバーしたのは、やはりマンソンその人のキャラクターだった。
しょっちゅう平然とオーディエンスにケツを向ける下品ぶり。
トゥイギーにもたれたり抱きついたり、花道に連行したりと、オーバーにベタベタアピールする仲良しぶり。
ステージ花道そばの観客のタオルをたびたび拝借し、返す間際に「その汗アブサンでできてるぞ」とぬかしたり、「The Dope Show」を歌いながら謎の粉をオーディエンスの頭上に撒き散らすブラックユーモア。
ステージ中にビールを要求し、いざ日本人スタッフが持ってくるとすべて飲み干さずに吐き散らし、「アルコールを飲むな。ドラッグをやるな。セーフセックスを心掛けろ」とのたまうマイウェイぶり。そう言いながら背中に回した手で中指立ててみせるクソガキぶり。
スタッフがマイクとスタンドをセットしてあげたそばから、スタンドをぶん投げたりはっ倒したりする、迷惑なほどのオレ様ぶり。
最後には、星条旗タオルでケツを拭く「アメリカの悪役」ぶり。
マリリン・マンソンにどういう立ち振る舞いが期待されているのか、この人は把握しきっている。もともとステージ前のオーディエンスのボルテージは高めだが、こういうマンソンを見せられると、「そうそう、これを求めてたんだよ!!」とばかりに、余計に沸騰するのだろう。

今回のライヴにおいては、ミュージシャンとしてのマンソンの評価はやや低めかもしれない。しかし、妙な芸人精神といい、オーディエンスの心を掴む巧みさといい、エンターティナーとしては相変わらず優れている。そこからは、エンターテインメント精神に欠かせない、頭の回転の速さが窺える。
この知性があるから、何だかんだでどこまでもマンソンについていきたくなっちゃうんだろう。

2012年3月4日日曜日

悪魔のいけにえ

絶対に笑ってはいけないテキサス84分。

悪魔のいけにえ('74)
監督:トビー・フーパー
出演:マリリン・バーンズ、ガンナー・ハンセン



この映画、ときどき『13金』と混同して覚えられているのはなぜだろう。一応、念を押しておきたい。
チェーンソー持ってる殺人鬼はジェイソンじゃありません! レザーフェイスです!!
そして、レザーフェイスはジェイソンみたいな単独犯じゃありません! 家族ぐるみでスゴイのです!! 
まぁ、ジェイソンだって原点にはママの存在があったけどね。

テキサスにやってきた旅行中の若者5人が、たまたま不気味なヒッチハイカーに遭遇し、たまたまガソリンが足りなくなり、たまたま仲間の旧家の近くにとんでもない殺人&食人一家が住んでいたため、次々と殺される。今や良作からポンコツまで大量生産される「ド田舎で若者大量殺戮」系スプラッターホラーのほぼ原形である。
スプラッターといっても、実はそんなに血糊やおどろおどろしいメイクは使われていない。重要なのはむしろ、映画から漂ってくる「不快な空気」だ。例えば、真夏の暑さと車の中の湿度。カーラジオから流れる嫌な事件のニュース。蓄殺の話。ヒッチハイカーの一挙一動。適度にイラッとくる若者たちのやりとりと行動。一見だだっ広くて開放感のあるテキサスの風景から、日本のホラー/サスペンスとはまた違った土着性と湿気を醸し出している。
そんな得体の知れない不快感に延々つきまとわれていると、非常に分かりやすい恐怖の権化であるレザーフェイスが登場したとき、変に安心してしまったり。もっとも、レザーフェイスVS女の子の地獄の追っかけっこシーンは、チェーンソーのエンジン音と悲鳴の音響効果で不快感が高まるけど。

ところでこの映画、思いこみで語られているところが結構多い。
まず、チェーンソーによる殺害シーンがほとんどない。殺害にはむしろハンマーが王道(?)らしい。チェーンソーはほとんどレザーフェイスが持って追っかけてくるだけだ。あと、実は使い勝手悪いだろうに、食肉(=死体)解体に使ってるシーンとか。
そのチェーンソー殺人シーンも含め、ド派手な血しぶきや切断などの直接的なゴア描写はない。せいぜい冒頭の腐乱死体の映像くらい。予算や技術の都合上難しかったのだろうが、そこは演出の巧みさでカバーされている。実際にエグいものを生み出しているのは、観る側の想像力だ。

一番予想外なのは、史上もっとも怖い映画とされている本作が、結構笑えるということ。それも、普通に考えたら恐怖真っ只中の、レザーフェイス一家のシーンに笑いが詰まっている。
食肉(……)の確保・解体プロフェッショナルのレザーフェイスだが、それ以外はあまり頭が回らないらしく、ややトロくてオタオタ気味。グランパ思いで、兄たちには頭が上がらない一家の末っ子。そして食卓ではなぜか皮膚マスクに厚化粧。そんな姿をうっかり「可愛い……」なんて思ってしまったら最後、この映画にずっぱまること必至です。
家族も負けちゃいない。実は一家の次男坊だったヒッチハイカーは、一番のブチギレ兼やんちゃで、年の離れた長男を怒らせっぱなし。長男は一番普通の人っぽいが、常識的な言動と非道な行動のギャップがどうしようもない。弟たちに比べて殺しは苦手だけど、料理(……)は得意ってあたりも何とも。そして一家の長たるグランパは、超高齢すぎてほぼミイラ。でも家族みんなから尊敬され慕われている。一家の声援のもとヨレヨレの手でハンマーを持とうとする様子には、うっかりすると微笑ましさすら感じてしまう。
が、生き残ったものの運悪くとっ捕まり、こんな一家に延々付き合わされた女の子サリーの恐怖を思うと、本当は笑ってられないことに気づく。ましてや可愛いだの微笑ましいだのとは到底言ってられない。一家の住まいのシュールすぎる家具・内装だって、実際に起きた猟奇事件(エド・ゲイン事件)とほぼ同じなのである。怖いはずのときになぜか笑っていられることは、面白いのだけれど、一周回ってやっぱり怖い感じもする。

なお、賛否はあるだろうが、この映画でもっとも怖いシーンは、サリーが逃げ切れたところだ。普通ヒロインが殺人鬼から逃れると安心するはずだが、あの瞬間のサリーの様子は安心からはほど遠く、むしろ映画前半のような嫌な雰囲気すら漂う。
逆に、獲物に逃げられ、朝日をバックにチェーンソーをぶん回して悔しがるレザーフェイスの姿は、そんな不快感をすっ飛ばし、芸術的にさえ映る。そう思えてしまうあたりが、やっぱり怖いところなのかもしれない。

2012年3月3日土曜日

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド

何でこんなにどうにもならない。

ナイト・オブ・ザ・リビングデッド('68)
監督:ジョージ・A・ロメロ
出演:ジュディス・オーディア、デュアン・ジョーンズ



基本的に、私は「走るなゾンビ!」派である。あんなもんがスピードアップ(モノによってはパワーアップ)して襲撃してきたら、勝てる気がしない。脚力と瞬発力に自信ない身としては、ハンデがほしい。
しかし、たとえゾンビがノロノロでも、誰もが生き延びられるとは限らない。それも、生き残れない原因はどちらかといえばゾンビではなく、人災ってところが厄介で……。

父の墓参りに行ったバーバラと兄のジョニーは、墓地で得体のしれない老人に襲撃される。ジョニーは殺され、バーバラはかろうじて近くの民家に逃げこんだ。
家にいるのは、地下室に逃げこんでいたハリー、妻ヘレン、娘カレン、若いカップルのトムとジュディ
、そしてあとから逃げこんできた黒人青年ベン。蘇った死者(=リビングデッド)が人を襲っているとのニュースを聞いた彼らは家に立てこもることになるが、ベンとハリーを中心に仲間割れが続き、その間にも家は死者たちに包囲されていく。

「ノロノロ歩く」「人肉を食べる」「脳を破壊しないと殺せない」「噛まれた人間もゾンビ化する」といった基本定義がつくられたという意味では、映画史上初のゾンビ映画。もっとも、作中で「ゾンビ」という言葉はまだ出てこない。ロメロの三部作第二弾にあたる『ゾンビ』でようやく定着する。
このころはキャラクターも観客も含め、みんながみんなゾンビど素人なわけだが、ゾンビもゾンビでたいまつの火にビビって逃げるヘタレぶり。のちの映画に比べればそこまで大群じゃないし、顔面の崩れっぷりもかなりソフト。ひょっとして、頑張れば勝てるのではとさえ思えてくる。
しかし、その期待を一気に台無しにするのが、人間同士の内輪もめである。窓やドアを塞いでゾンビの侵入を防ぎつつ、自分たちの逃げ道も確保しようというベン。絶対ドアが破られない地下室に避難しようというハリー。いちいち揉め事に気を取られているうちに事態は悪化し、「あの時点でああしておけば良かったのに……」という後悔先に立たずの見本市のような展開に。人間関係の面倒くささが取り沙汰されることは実生活でもよくあるが、それが最骨頂に達するのは、このような極限状況かもしれない。

そして、救いようのない展開のあとに待ち受ける、もっと救いようのないラスト。「本当に怖いのはゾンビだけか?」という問いを、シーンを冷やかに映し出すカメラと陰気な音楽でもって、これでもかと突きつけられる。観るときの気分によっては、やるせなさが倍増してしまうので要注意である。

ちなみにバーバラにいたっては、分かりやすいパニックぶりを見せていたのは最初ぐらいで、あとはほとんど放心状態という、ヒロインであることを忘れてしまうほどの放置され具合。あまりのお荷物っぷりにイラッとくる人もいるだろうが、実際にゾンビハザードが起きたら、パニックのあまり思考回路が途切れちゃうかもしれませんよ。