2015年2月6日金曜日

ザ・フライ

ハエが二人を分かつまで、愛せると誓いますか?

ザ・フライ('86)
監督:デヴィッド・クローネンバーグ
出演:ジェフ・ゴールドブラム、ジーナ・デイヴィス



小学校高学年のころ、体育の創作ダンスに担任の先生が「あいつはいつもうーるさいー ハーエーおーとこー♪」ってテーマ曲を持ってきた(このパートしか覚えてないけど)。ハエが前足を擦る動作を真似た振り付けのダンスだった。
しかし、この映画を知ると「ハエ男ってそんなもんじゃないじゃん!! もっと怖いし気持ち悪いじゃん!!」ってなっちゃうよなぁ。

天才科学者セス・ブランドルは、物体転送装置「テレポッド」を開発していた。無機物の転送実験には成功していたが、生物の転送にはまだ苦戦していた。あるとき、新しくできた恋人でジャーナリストのヴェロニカの協力で、生物の転送に必要な改良が分かり、ついに動物の転送実験に成功。その直後、ヴェロニカの元恋人への嫉妬心と、酔った勢いから、セスは自身の身体で転送実験に踏み切ってしまう。
転送は一見、何事もなく成功したように思われた。しかし、翌日からセスの身体に異常が次々と現れ始める。実は、実験時セスのポッドに1匹のハエが紛れ込んでおり、セスは転送完了の際に遺伝子レベルでハエと融合してしまったのだった。かくして、セスの肉体は日に日に崩れ、人間ではなくなっていく。

『蠅男の恐怖』('58)のリメイクである本作。ちなみに元の作品は未見。
最近はメンタル面の変容やエグさが目立っているクローネンバーグ監督だが、このころはまだ肉体の変容とそのエグさが前面に出ている。ハエとの融合プロセスは、最初は甘いものの大量摂取や精力増強、身体能力の向上、吹き出物の増加程度だが、背中の傷跡から昆虫の毛が生え始めたころから怪しくなってくる。爪や歯が退化してポロッと抜けるあたりから「うげっ」となり、皮膚がボロボロになり、口から強酸を吐き出すころにはもう身体はグズグズ。しまいにはその身体さえ崩れ落ち、巨大なハエ人間が誕生する。
自分がグロテスクな何かに変貌しつつあったら、普通なら絶望する。確かにセスも絶望的になり、特に恋人ヴェロニカのことを思うと哀しみもいっそう増した。しかし、ある程度変化が進むと、自分の肉体はどう変わっていくのかと興味を持ち、取れてしまった人体パーツを収集し、楽しんでさえいる。『シーバース』の寄生された人々然り、『ザ・ブルード 怒りのメタファー』のノーラ然り、『コズモポリス』のエリック然り、クローネンバーグ作品のキャラクターには自身の身体の変容を喜んで受け入れる人が多いように思える。化学を専攻していたクローネンバーグにとって、変容は恐れるべきものというより、進化としてポジティヴに捉えるものなのだろうか。逆に、変容の哀しみを表す『デッド・ゾーン』のジョニー・スミスという例もあるが。

セスがハエ男に変わっていくプロセスと並んで重点的に描かれているのが、セスとヴェロニカとの関係である。2人の愛情は、率直に言って「ハエ男への変貌」を「難病」に置き換えても成立するものがある。ただし、邦画・テレビ界で目立った「難病モノ」は、キレイな俳優さんがキレイなまま病気になって、その恋人としてこれまたキレイな俳優さんが彼/彼女にずっと寄り添い続けてキレイな顔のまま死んでいくもの。果たして、皮膚がボロボロで歯や爪がなくてあちこちから粘液を垂らす姿になっても、彼らは愛情を貫けるのだろうか……と穿った観方をしてしまう。
グズグズに崩れていくのを目の当たりにしながらもセスを見放さなかったヴェロニカだが、セスの子を身ごもったことを知ると、ハエの遺伝子を持った生き物を体内に宿していることにさすがに恐怖を覚える。一方、当初は肉体が朽ちていく自分からヴェロニカを引き離そうとしたセスだが、突如ヴェロニカの中絶を拒み、ともに「進化」への道を歩ませようとする。「すれ違い」「心の距離」とキレイにまとめるにはあまりにもグロテスクでダイナミックすぎる展開を経て、最終的にひとつの意思を示すセスと、それを受け入れるヴェロニカの姿には、おぞましさを突き抜けて妙な感動さえ覚えるから不思議だ。

ところで、本作はタイトルバックが終わってから、ホールでのパーティーの遠景が映り、その直後にインタビューを受けるセス・ブランドル=ジェフ・ゴールドブラムの顔で本編が動き出す。濃ゆい顔立ちで、特にギョロリとした目が目立つジェフの顔のインパクトは、もはやハエと融合する以前の問題。ハワード・ショアの音楽と、このワンショットのつかみという流れから、本作はもう勝利していると感じさせるのだった。

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