2015年9月29日火曜日

ムカデ人間2

無邪気な悪魔におもちゃが12人。

ムカデ人間2('12)
監督:トム・シックス
出演:ローレンス・ハーヴェイ、アシュリン・イェニー



映画に影響を受けて何かやらかしたことは数知れず。『リーサル・ウエポン』のメル・ギブソンのシャツの着こなしを(可能な限り)真似したり、『ザ・プロデューサー』カメオ出演のベニチオ・デル・トロの歩き方を真似したり、『ショコラ』のホットチョコレートにチリペッパーを入れる飲み方を自己流さじ加減で試した結果喉をやられたり。それを「若気の至り」で片づけられればいいのだが、ここ数年は『ワールズ・エンド』を観てビールハシゴ飲みをしたり(そしてつまみのフリッターに食あたりしてリバース)、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』を観てラジカセ引っ張り出して「マイ最強Mixテープ」を作ってしまったりと、成長してますますやらかしの度合が大きくなっちゃっているのが問題。
……まぁさすがにムカデは……いやもしやる気が出たらスクラップブックぐらいはつ・く・っ・て・み・た・い気もしますし、破かれたらスゲェ怒る気もしますよ。

ロンドンの地下駐車場で警備員の仕事をしている男・マーティン。かつて父親からは性的虐待を受け、一緒に暮らしている母親からは「居なければよかった」ように扱われ、精神科医からは下心を持って見られ、駐車場利用客からもバカにされ続けている。
そんなマーティンが愛してやまないのが『ムカデ人間』。DVDを繰り返し観るだけでなく、母に嫌がられながらもムカデを飼い、スクラップブックも作る入れ込みよう。その愛着は「自分もムカデ人間を作ってみたい」と思うほどに膨れ上がっていた。マーティンは野望の実現にむけ、駐車場の客や近所の男ら12人を次々と貸倉庫に拉致監禁。さらに、『ムカデ人間』にジェニー役で出演していたアシュリン・イェニーまで、自らのムカデの先頭に配すべく監禁。医学知識も技術も道具もなく、大工道具のみを手に、マーティンは遂にムカデ人間製作に乗り出した……!!

「地獄絵図」「不快度MAX」とはこのことだ!(以下その手の話が続くので注意)

「口とケツをくっつける」「前の人のウ○コが次の人の口へ」という『ムカデ人間』では直接描かなかった生理的嫌悪描写。あるいは、膝の靭帯を切り歯を抜くという、比較的マイルドに見せるだけに終わらせていた手術プロセス。今回監督は、そうしたエグいパートをこれでもかというほど直接的に見せ、生理的嫌悪も痛覚も手加減なしの方向へ舵を切った。
医者じゃないから当然麻酔なし、必要とあらばバールで殴って気絶させる。ハンマーやらナイフやらで人体損壊してムカデにしようとしたものの、どうにもならずショックや失血で死んでしまう被害者も出てくる。結局、やけになって接着はホチキスとダクトテープでバチバチベリベリ。現代医療に当たり前に存在する、麻酔や縫合の技術がいかにありがたいかが嫌というほど分かる。前回、その医療技術をフル活用して暴走しちゃった医者がいたけどね! それからマーティンよ、麻酔は持ってないのに下剤は持っているのな。だからウ○コのプロセスもどうにもならなくなったらとりあえず下剤に頼るのな。だからそちらの意味でも地獄絵図が展開してしまうのな……!!
そもそも、ムカデ素材の誘拐も、とりあえず拳銃で脚のどこかを撃つ→逃げられなくなったところをバールでガーンと気絶!! という痛さ全開のプロセス。半死半生で調達するわけだが、下手したらその時点で素材が死ぬぞ。そんなん見たらハイター博士も気絶するぞ。違う意味で。
青と白を基調にした冷ややかな色調だった前作に対し、今作はモノクロ。しかもロンドンは常に雨模様なので、暗さと湿っぽさが格段に上がる。前作の色調がハイター博士を表しているなら、今作の陰鬱なモノクロの世界は、誰からも愛されず己の殻にこもってムカデを愛する男、マーティンのことである。ただし、この映画はすべてがモノクロというわけではない。たった1つだけ、着色されているものがある。それを観てしまったら……思わずにはいられない。「監督は鬼か!?」(ちなみに、トム・シックス監督は変態的な世界を描くが、彼なりの計算があってのことだしそこに狂気は見えないので、変態とは思っていない)

前作がハイター博士なら、本作はマーティンの独壇場。ローレンス・ハーヴェイの強烈すぎるビジュアル一発で、「こいつ何者だ!?」と観客の好奇心をわしづかみにしてしまう。
チビ・デブ・ハゲの三拍子、しかも腹の肉が下半身にまで垂れているので、パンツを穿いているのかいないのか判別つかないほど。汗っかきで常に目がギョロギョロ。何よりも、作中で一言も意味のある言葉を発さない。意思表示はすべて表情と行動と、「エハハハ」「ウェェェェ」「ブーーー」という言葉になっていない言葉。それでもこちらには彼が何を言わんとしているのかおおむね伝わるのだが、逆にマーティンに周りの人間の言葉を伝えきることはできない。どれだけ必死に「ムカデ人間はフィクションだ! できるわけがない!」と訴えても、彼には通じない。ハイター博士とはまたちがったディスコミュニケーションの恐ろしさである。
マーティンにとって『ムカデ人間』は限りなくリアルで、愛すべきもので、ハイター博士はヒーローである。何かとウ○コを漏らす、思うようにいかなくて泣きじゃくると、まるで子どものようなメンタリティのマーティンが、博士の真似事をして大惨事を招くのは、子どもがヒーローごっこをしてうっかり物を壊したり大ケガをすることに通じているのではないだろうか。
だからなのかね。今までの地獄絵図と、これからの地獄絵図を顧みても、ひとまずムカデ人間を完成させて血みどろのまま小躍りしてはしゃぐマーティンを観ると、「うんうん、良かったね!」と思ってしまうのは……。

(以下、核心に触れる部分は反転させています)

ところで、マーティンの乱雑な犯行はどうして誰にもバレないのか、なぜこうも都合よく進むのか……と思っていたら、最後の最後にムカデ人間製作はマーティンの夢/妄想であったことが判明する。夢オチかよ、と拍子抜けするところもあれば、あれが現実じゃなくて良かった! と安堵するところもあり。そしてこれが、誰からも愛されず理解もされない大きな子どもの、世の中に対するささやかな(頭の中のことだからね。現実ならささやかどころじゃない)反逆だったと思うと、これほどまでの地獄ですら、どこか哀愁を帯びてくるのだった。

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