2016年1月18日月曜日

Let Us Prey(デス・ノート/デッド・ノート)

ノートでは死なない。殺し文句で死んだ。

Let Us Prey(デス・ノート/デッド・ノート)('14)
監督:ブライアン・オマリー
出演:リーアム・カニンガム、ポリアンナ・マッキントッシュ

 

↑下段が欧米版。個人的には左のデザインが好きです。

OK、話をまとめよう。
まず、本作の原題は『Let Us Prey』(我らを苦しめ給え、みたいな造語?)だった。
が、日本で「未体験ゾーンの映画たち2016」経由で公開するころには『デス・ノート』になっていた。
当然、某コミック原作の死神のノートを操る天才の話に便乗したんだよな? 折しもアダム・ウィンガード監督でハリウッドリメイクの話もあったので、ネット上には「紛らわしい!」「別モノじゃん!」との声もあった。ちなみに本作はアイルランド作品だ。
で、そういった意見を受けて、DVD発売の際に『デッド・ノート』に改題したのな。
……あのさ。
こんな面倒なことするぐらいだったら、最初から紛らわしいタイトルなんか付けるなよ!!!


さらに、ネット上における邦題に対する意見の中でも、唯一そいつは聞き捨てならんという一言が。
「本家に便乗したC級映画」
……あのさ。
お前は映画本編を観たのか!? 便乗タイトルだからって、アサイラム映画と同じにしてないか!? (※アサイラムはタイトルやストーリーのパチモン臭さと志の低さがチャームポイントです)

とりあえず、ホラー映画に耐性さえあれば最後までご覧ください。面白いかつまらないはともかく、小粒ながらにオカルトもゴアもきちんと詰めこみ、マジメに取り組んだ映画であることだけは分かるでしょうから。
それに、この映画に出てくる問題のノートに名前書かれてるぐらいなら、コミック本家のデスノートに名前書かれて死んだほうがまだマシだって思うかもしれませんね。

↓この本編画像は、上記騒動に対する私の心境とお思いください。

夜中、田舎町の警察署に初出勤する新任警官のレイチェル。署に向かう途中、猛スピードで走ってきた車が、道の真ん中で男にぶつかるのを目撃する。運転手の少年を捕まえたものの、はねられたはずの男の姿はなぜかどこにもなかった。
その後、同僚の警官たちが問題の男を発見してくるも、彼は一言も発さないし身元も分からない。事故のショックを疑って呼ばれてきた医者は、男に何かを囁かれると「なぜ知っているんだ……」と顔色を変え、ハサミで男に殴りかかる。
深夜0時が近づくにつれ、署内は不穏な空気に満ちる。男と言葉を交わしたり、物越しにでも接触したりすると、自身が隠してきた罪や暗い過去の記憶が呼び起こされるのだ。かくして、ある者は暴力に走り、ある者は自ら死に向かい、小さな警察署内は血みどろの地獄絵図と化していく……。

「我々は救済のゲームをしているのではない。ただの報いだ」
謎の男が語る通り、ストーリーの中心にあるのは、それぞれの罪に対する報い。
この夜、警察署に集められた人々は、一見単なるダメな人間だが、その裏にはとんでもない罪を抱えている。そのうえ良心の呵責すらない(もしくは押し込めてしまった)奴らばかり。ダメさの見えないレイチェルとて、とんでもないトラウマを抱えているのだ。
新人以外全員後ろ暗すぎるなんて、どんだけダメな警察だよとも思うけれども。

そんな罪を隠した人間だからこそ、謎の男のノートにリストアップされるのである。男とわずかにでも接触さえあれば、彼らは嫌でも自分の闇を覗かされ、男が手を下さずとも破滅へと向かっていく。
つまり、ノートそれ自体に死の力はないんですよ皆さん!!!

罪、救済、報いといったキーワードから分かるように、本作には宗教色がうっすら漂っている。そこから謎の男の正体も分かるようになっている。明言はされないが、確実に分かるヒントはちりばめられている。
特に魅せ方が良いのは、男が収監される部屋が6番ということ。いや、もうキマりすぎててニクい。

そうなると、もっとオカルト路線で押し進めてもいいように思えるが、終盤に向かうにしたがってこの映画は怒涛の血しぶきゴアゴア祭りへ向かう。しかも火の海まで出現。ショットガンで人体は肉片と化し、『サスペリアpart2』を彷彿させる死に様もあり、机の脚や靴磨き機の思いがけない使い方まで拝めてしまう。血が見えなくとも、首吊りの描写はゴギンと骨が折れる感じが伝わってくる生々しさ。

この血祭りの中心にいるのが、上記写真のショットガンおじさん。当初見せていたノーマルな顔と、後に分かってくる裏の顔を比べるに、業の深さの衝撃度はかなり高い。
そして、頭や胴に有刺鉄線を巻きつけて現れるこの姿。どう見ても堕ちたキリストであり、だからこそ留置所でクールに構える静かな男との対比が浮き彫りになるのだった。

これだけでも自分にとってはたぎる展開だったのだが、本作を支持する決め手となったのは、最後に男が語ったことだ。
「人々は私のせいにしたがるが、私はただの目撃者だ。私が見たものには天使も涙する。私を否定してもいいが、君の目に宿る炎は私だ。君にこの地上の腐った、邪悪な魂をすべて与えよう。君は復讐し、私は彼らの魂を燃やす。正直に言えば、君なしでは凍えそうだ」(訳が不正確なところがあるとは思いますが)

2016年が始まって2週間足らずのうちに、こんな殺し文句(口説き文句ともいえる)が聴けるとは!! しかもリーアム・カニンガムの渋声で! 
私の身体本体はきちんと座席に座ったままだったが、私の魂は奇声を発しながらのたうちまわっていたぞ!! 謎の男の側に転ぶ人類、地上に結構たくさんいるはずだぞーーーー!!!

ちなみに、少人数で展開し、かつ皆が皆濃い存在感を放っているぶん、リーアム・カニンガムをはじめキャストの皆さんにも注目が行きわたった。
警官の一人を演じていたブライアン・ラーキン、どこかで聞いたことあると思ったら、『ヒトラー最終兵器』のバイオ・ソルジャーより強い無双オヤジ、ドロコフさんだったのな。そして上司の巡査部長役のダグラス・ラッセルも『ヒトラー最終兵器』出演していたのな。
ヒューム医師を演じていたナイアル・グレイグ・フルトンも気づかなかったけど、実は「未体験ゾーンの映画たち2015」の『アノマリー』でもお目にかかってたんですね。それ以前に「フラーケ(ラムシュタインのキーボーディスト)に似てるなぁ」とか思っちゃったりしてましたが。

何より驚愕のフィルモグラフィをお持ちなのは、レイチェル役ポリアンナ・マッキントッシュ。
実は、ジャック・ケッチャム原作の『オフスプリング』『ザ・ウーマン』で、野生の食人族女を演じていたのはこの方だったのだ。
自分になじみのあるところでいえば、『フィルス』でアレの拡大コピーにダマされる婦人警官。ずいぶんと体を張って挑んでくれる人だと思っていたら、ジャンル映画の星のようなキャリアをお持ちだったんですね。

設定からゴアからセリフからこんな小ネタまで、オマリー監督は、私の脳天に風穴開けるためにこの映画作ってくれたにちがいない……という勘違いすら覚えさせてくれるのだった。

アメリカン・バーガー

アメリカン(本当はスウェディッシュ)・バーカ。

アメリカン・バーガー('14)
監督:ヨハン・ブルマンダー、ボニータ・ドレイク
出演:ガブリエル・フレイリッシュ、フリードリク・ヒラー



2015年のクリスマスには『グリーン・インフェルノ』を観て、12月29日(ヒフとニクの日)には新文芸坐で『悪魔のいけにえ』と『食人族』の二本立てを観る。
で、2016年映画初めが「未体験ゾーンの映画たち2016」のコレ。人生でもっとも人肉食づくしの年末年始となったのだった。

ヨーロッパをバス旅行中のアメリカ人高校生一行。本日のプログラムは、とある小さな村の主産業である「アメリカン・バーガー」の工場見学。商品のウリは「使用しているお肉は100%アメリカ産」……それもそのはず、この工場では見学にやってくるアメリカ人たちをバッサバッサと殺し、その肉をハンバーガーの材料にしていたからだ! 
到着早々大半の生徒や先生があっさり血祭りにあげられる中、逃げ足の早さ、トイレ中、覗き見中などのおかげで生き延びた一部のチアリーダー、ジョックス、オタクたちは、森の中を逃げ惑う。果たして彼らは、情緒不安定な工場長や仕事熱心な解体職員の手から逃れられるのか……。

今現在食人映画推しモードの自分ではあるが、はっきり言ってこの映画における人肉バーガーや食肉解体は、「どうでもいい」程度の扱いである。
血しぶき描写だって、あからさまに手のひらに血糊パックを仕込んでいるのがバレバレで、ゴア度ゼロのチープ度マックス。
この場合重要なのは、「アメリカン」と「バーガー」……ではなく「バカ」なのだ。

本作はスウェーデン映画で、実はアメリカ人一行を演じる役者さんもみんなスウェーデン人。つまり、いかにもモテ男な金髪ジョックスも、セクシーでアタマの悪そうなチアリーダーも、知恵が回りそうで回らない童貞丸出しオタクも、スウェーデン人の思うバカなアメリカン像なのだ。
とはいえ、映画好きなら国籍問わず、こういうアメリカ人ステレオタイプを思いつきそう。当のアメリカ人がこの映画を観たらどう思うんだろうね。ときどき映画で見かけるトンデモ系日本人よりはマシな気がしちゃうんだけどね。

なお、ここに出てくるキャラクターたち、実は名前がない。オープニングとエンディングのクレジットで確認できるが、「デブのオタク」「金持ちのお坊っちゃん風オタク」「イケてるチアリーダー」「クォーターバック」「先生その1」等、ヒドい記号である。
唯一名前のある人間ですら、「目つきがキモいオタク、通称マイク」だもんな。

アメリカ人像のみならず、「スウェーデン人の思うバカなアメリカ映画像」もふんだんに取り入れられている。バスが停止するたび引率の先生が顔面からフロントガラスにぶち当たる繰り返しギャグに始まり、何としてでもこの休みの間に童貞卒業したいオタクたちの空回りが続いたり、ダースベーダーモノマネ始まったり、逃げるアクションシーンで突然スローモーションになったり。
一番セクシーなチアリーダーが逃げる間に服が破れ続け、しまいにはキャミソール1枚&ノーパンになってしまうギャグは、ムダにダラダラとしたショットすら愛着が湧くほど。
小便&大便ネタとか、ムダにゲ○吐くシーンが入るといったド底辺の笑いもあるけど、どちらかといえばわざとこの手の下品ネタやるのはアメリカよりヨーロッパのほうが多い気が。

ただ、最後の最後にこの映画は、もっともアメリカ的でない解決法を選ぶ。それは、「やられたらやり返せ」とばかりに武器を手に取り敵を血祭りに上げにいくのではなく、ある意味で秀逸な発想にして、とんでもなく穏便なやり方なのである。
まぁ、結局のところ大バカであることに変わりはないのだけれども。