2016年4月23日土曜日

ミラクル・ニール!

人類みな猿の手。

ミラクル・ニール!('15)
監督:テリー・ジョーンズ
出演:サイモン・ペッグ、ケイト・ベッキンセール



もし右手を振るだけで何でも願いが叶うなら? じゃあ70㎜フィルム上映できる昔の映画館が復活するといいなー。そこで『ヘイトフル・エイト』かけてほしいなー。あと新橋文化劇場復活してほしいなー。洋画の日本公開本国と同じくらい早めたいなー。ファンの不評を買うヘンなプロモーションやめてほしいなー。ラムシュタインまた来日公演やってくれないかなー。
……とか気軽に言っちゃったこの願い事の副作用って何なんだろうなー。

1970年代、人類は未知の生命体との接触を試みるため、探査機を打ち上げた。銀河の彼方に辿り着いた探査機は、宇宙人たちに回収された……が、地球のデータを見た彼らは地球人を下等生物とみなし破壊が採択された。ただし、銀河系の法律により、破壊予定の惑星にも一度チャンスを与えなくてはならない。ランダムに選んだ地球人一人に全能のパワーを与え、その力をどう使うか見極めるのだ。
かくして、人並みに下心もあるが決して悪人ではなく基本的にお人よし、特別才能に秀でてもいないがバカでもない学校教師ニールが、偶然パワーを手にしてしまった……。

あのモンティ・パイソン×サイモン・ペッグの英国産コメディ! という大看板ではあるが、映画自体は小粒。サイモンを主演でフル活用するならそれぐらいの規模がちょうどいいのだろうけど、パイソンズの毒気を期待するとやや物足りないかもしれない。パイソンズが吹替を担当している宇宙人たちの会議パートが当然一番パイソンズ度が高いのだけれど、劇場公開時にそこがあまり笑いどころになってはいなかったのは、彼らをあまり知らない層が多かったからだろうか?
その代わりに一番毒(と愛嬌)を振りまいているのが、故ロビン・ウィリアムズが声を当てた愛犬デニス。飼い主への忠誠心とケモノの本能が常にせめぎ合い、なかなか落ち着いてくれず、時としてその本能が飼い主にダメージを与えることにすらつながる(そして怒られてやっとシュンとする)。「犬はこっちの気持ちを分かってくれてる」という考えにも、人間側の思い込みにすぎないところもあるのかもなぁ。それでも最終的には、やはり犬はあらゆる意味で人類最良の友なのだなと思わせてくれる。
もちろん、サイモンの可愛らしさもデニスに負けちゃいませんよ。パワーを操っているようでいてパワーに操られているわたわた感とか、ケイト・ベッキンセールへの片思い感とか、パワーを使う権限を天敵に取られた結果とんでもない格好になっているところとか。ところで、「ザ・いい人キャラで、キュートで、人並みの下心くらいは持っている」というサイモンのキャラクターって、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリンに近いポジションなんじゃないですかね。

日本のプレスでは何かと「超テキトー男」と言われているニールだが、何度か前述したとおり、彼は基本的にお人よしかつちょっとした下心を持っているだけ。多少のズルや手抜きをすることはあっても、決して適当に生きているわけではない。つまり、悪意も善意も思いつきも、人類の大多数と変わらないのである。「理想的なボディになれ」「校長が僕に優しくなれ」といった身近でセコい願いも、「アメリカの大統領になれ」なんて大それた願いも、もし同じ全能の力を手に入れたら人類の99%が一度は試してしまうことなんじゃないだろうか。
そして厄介なことに、この願いはなかなか思うように実現してくれない。死んだ生徒を生き返らせようとして「死者を甦らせろ」と言ったら町中ゾンビだらけになってしまったり、同僚の女性教師に片思いするも無視されている友人レイのために「彼女がレイを崇拝する」よう願ったらカルト宗教が誕生してしまったり。こんな力を持っているのだからいっそ世界のためになることを……と思った善意の願い事は、もっとエラい事態を招いてしまう。ニールが人類の大多数と同じような存在なら、我々だって彼とほぼ同じことをやらかしてしまうんじゃないだろうか。
本作はW.W.ジェイコブスの短編『猿の手』のパイソンズ流パロディにも見える。どの人間がパワーを持っても、結果が「猿の手」になってしまうのなら……うん、いっそ委ねてしまったほうがいいかもしれないね。犬の手に。(←ネタバレにつき反転)

ちなみに、冒頭で述べた願い事の考えうる副作用としては……

  • 70㎜フィルム映画館が出来て『ヘイトフル・エイト』を上映→採算とれなくてすぐ潰れる、もしくは映画館が建った土地は実は保育所建設予定地で、地域に多大な迷惑をかける
  • 新橋文化劇場復活→耐久工事を無視したため高架線倒壊事故発生
  • 洋画の公開を早める→配給会社がにわかに忙しくなり過労死増加
  • マシなプロモーション→ファンは満足するが客足への影響なく費用だけがかさむ(あってほしくないことだけどなぁ)
  • ラムシュタイン来日→急に来日スケジュールを入れたことでバンドのツアースケジュールを狂わせてしまう

……ってことが最悪の事態かなぁ。やっぱり今の願いナシで。(右手を振る)

2016年4月7日木曜日

ヘル・レイザー

痛いの痛いの、飛んでこーーーーい!!!

ヘル・レイザー('87)
監督:クライヴ・バーカー
出演:アンドリュー・ロビンソン、クレア・ヒギンズ



「死ね」の婉曲的言い回し(ホラーファン編)として、「お前なんかチアリーダーになれ!」「クリスタルレイク行けばいいのに」「エルム街で寝てろ!」等を考案。その中にはもちろん「パズルボックス送ったろか」なんてのもあったのだが、これにだけは一つ懸念がある。
だって、もしも相手が痛いの大好きなドMだったら、「お幸せに!」の意味合いになっちゃうだろ。

フランク・コットンは、究極の快楽を得られるというパズルボックスを怪しげな商人から買い、開けようと試みていた。だが箱が開いた瞬間、フランクの身体には無数の鈎針が刺さり、全身がバラバラの肉片と化してしまう。
しばらくして、フランクの所有していた家に兄夫婦・ラリーとジュリアが引っ越してくる。実は結婚する直前にフランクと不倫関係にあったジュリアは、結婚生活を続けながらも彼のことが忘れられずにいた。
その引っ越しのさなか、ラリーがケガをして流れた血により、屋根裏の床下からフランクが変わり果てた姿で甦る。元の姿に戻るためには血肉が必要だと説明され、ジュリアは屋根裏に次々と男を連れ込み、フランクに与える。そんな義母の様子を訝しむのが、ラリーの娘カースティだった。

1978年の『ハロウィン』を皮切りに、80~90年代初頭にかけてシリーズが量産された『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』などのスラッシャーホラー。本作の公開はこれらの作品と同じ時代だが、一般的なスラッシャーホラーとは大きく異なる。
相違点の1つは年齢層。スラッシャーものにおいて、犠牲者の多くは若者。それも、セックスとドラッグに抵抗のない人間ほど殺される率が高い。これは、若さゆえの奔放さに対する罰や警告とも解釈されている。だが、本作の中心人物は、ほとんどが中年の域に差し掛かった大人たちだ。「若さゆえの奔放さ」にはある程度免責があるが、いい大人になればなるほどそれはなくなり、命を落とす理由にも「業の深さ」がつきまとう。
もう1つは快楽の有り方。若者が安直に快楽を求めるがゆえに罰を受けるのなら、大人たちは快楽を突き詰めすぎる、あるいは時間をかけてでも求めすぎるがゆえに罰を受ける。フランクは究極の快楽を求めて禁断の箱に手を伸ばし、ジュリアはフランクの肉体を求めるあまり男たちを釣ってはフランクの餌にし、それ相応の地獄へ堕ちていく。
さらに言えば、スラッシャー映画では快楽を求めた代償として苦痛を味わうわけだが、本作では快楽と苦痛は限りなく近い存在。それはパズルボックスから呼び出された地獄の魔導士=セノバイトたちの姿を見れば一目瞭然なのだが、フランクとジュリアさえも、堕ちていくほどに快楽に近づいていくのである。
普通なら、こうした深い業や欲望に対抗するのが、ファイナル・ガールの若さと純粋さ。だが本作のカースティは、確かに一番若い存在ではあるが、家族から自立しボーイフレンドも持ち、ほぼ大人の域に足を踏み入れている。何より、この恐ろしい事態に立ち向かい、魔導士にすら打ち勝とうとする姿勢からは、しぶとさと狡猾さが見て取れる。惨劇を引き起こす側にしても立ち向かう側にしても、「大人の作品」と言える。ただ、ジュリアとカースティのこうした性格づけには、クライヴ・バーカーの女性嫌悪の影響が関わっているらしい……。

一般的スラッシャーホラーとの相違点はまだ残る。殺害方法やセノバイトたちのスタイルに見て取れる、フェティッシュ性の高さだ。
刃物で刺す/ナタや斧といった大振りの武器で一撃といった殺しを男性シンボル的とするならば、ゲイでマゾ嗜好(そして女嫌いというのが公然の秘密である)のバーカー監督の美学がそれとは別の方角へ向かうのも納得できる。それが、「皮膚を鈎針で引っ張る/引きちぎる」という、繊細にして痛さの度合も高い死である。
だが、何よりフェティシズムにあふれているのは、パズルボックスが開けられるとともに現れるセノバイトたちだ。裂け目や切れ目が規則正しく入れられ、フックを引っかけた痕まである皮膚は、サスペンションやスカリフィケーションの進化系ともいえるマゾヒズムの芸術。さらに、その身体を包む黒いレザー/ゴムの衣装は、ゴスのスタイルにも通ずる。
中でも、一際規則正しく碁盤の目にピンをうずめた頭のピンヘッド(本作当時は単にLead Cenobiteと呼ばれていた)のカリスマ性たるや。演じるダグ・ブラッドレイの英国舞台人然とした大仰な喋り方も相まって、不思議と神々しさすら感じられる。セノバイトは、もはや快楽も苦痛も突き抜け、悟りの域に達した者たちだ。その前には、フランクやジュリアの際限ない欲望すら泥臭く見える。それなら(たとえ実質変態でも)より崇高な域に達したほうがまだいいのでは……と勘違いし始めた方がいらっしゃるのなら、クライヴ・バーカーの地獄世界はなかなかに居心地いいのではと思いますよ。

ちなみに、昨年リバイバル上映を記念して久しぶりにヘルレイザー3作目までを観返した際、深夜のノリか地獄からの囁きか、危うく海外オークションサイトから真鍮製パズルボックスをポチりかけていた。この体験を「地獄の淵からの生還」と勝手に呼びたい。