2016年10月11日火曜日

デビルズ・メタル

鋼鉄の絆! 鋼鉄の音楽! 鋼鉄のバカ!!

デビルズ・メタル('15)
監督:ジェイソン・リー・ホーデン
出演:ミロ・コーソーン、ジェームズ・ブレイク



「メタル好きだから」「ホラー好きだから」と直接の偏見をくらったことはない。……が、意を決してマリリン・マンソンTを高校(制服はあるけど着用義務はないので自分は私服でした)に着ていったものの、特に誰にも何も指摘されなかったのもそれはそれで寂しいもんだよ。めんどくさい悩みだけど。

母親が逮捕されたので親類の家に引き取られたメタル好きの高校生ブロディ。叔父夫婦はクリスチャン、同じ学校に通うイトコのデヴィッドはジョックスでいじめっ子、数少ない友人はロールプレイングゲーム好きのオタクたちと、家でも学校でもカースト最下位の生活だった。そんな彼の救いは、メタルを聴くこと、メタル仲間の不良ザックと友人になって結成したバンド「デスガズム」、デヴィッドの彼女ではあるが自分に好意的な学校いちの美女メディナ。
ある日、ブロディとザックは、数年前行方をくらませたギタリストの隠れ家で古びた謎の楽譜を手に入れる。これをデスガズムの曲として発表しちゃおうぜ! といつものようにガレージで演奏を始めるが、実はそれは悪魔を召還し世界に破滅をもたらす「黒い賛美歌」だった……。

『ホビット』シリーズや『アベンジャーズ』のヴィジュアルエフェクト担当が監督……という背景からは到底結びつかないような、黒い血ドボドボゲロゲロスプラッター。
何せ「黒い賛美歌」により悪魔に取り憑かれた人々(ほぼゾンビ?)が、身体のあらゆる穴から血を流したり豪快な血ゲロを噴出したりしている。
それに対して銃なんてスマートな武器は流通していないので、スライサーやら斧やらチェーンソーやらえげつなさ全開の凶器でメッタ斬り殺す。絵面はおおむねキタナい(注:褒めてます)が、ゴアゴア祭りの豪快さは気合十分だ。

良識から見ればケシカランもの同士ヘヴィメタルとスプラッターの相性は抜群だが、そこに謎の爽快感すら生み出してしまったもう1つの要素が、鋼鉄級のバカスピリット
森の中でデスガズムのミュージックビデオを撮影し(そして途中でやってられなくなる)、コープスペイントのまま意中の彼女と出くわしてしまう日常はもとより、悪魔憑依で街中が血みどろになってからも(メタル)バカはバカ。
即席の武器としてギターネックに有刺鉄線や丸ノコを装備し、チェーンソーでケツをぶった切りながら「メタルをくらえ!!」の雄叫びを上げる。この時点で「ヤベェなんか楽しそう」と思えてきたアナタはもう(気持ちだけは)デスガズムのメンバーです。

なお、街には「黒い賛美歌」の楽譜を狙う悪魔崇拝者たちもやってくるのだが、彼らもうっかり高級カーペットの上で首チョンパしてしまう程度にはおバカさんなので、案外メタルバカといい勝負である。

しかしまぁ、いくら銃の代わりにえげつない武器を持たねばならないとはいえ……まさかラバー製デカ○○○とか、×××ビーズとか、バイブレータ(もちろんそっちの意味でだ!)でゾンビもどきをシバけるとは。アダルトグッズも結構有効な凶器なんですね。

ところで、本作の監督および脚本のジェイソン・リー・ホーデン、割と本気のメタル系ボンクラだったんじゃないか。エンペラーイーサーンAxCx(これはジャケットのみの登場だけど)といった音楽のチョイス、カンニバル・コープスのボーカルに関するちょっとした考察といったバンド話はもとより、ブロディ君の置かれた状況や心境からの推定である。

実はメタルヘッズにザックのようなガタイのいい不良はそう多くはなく、大半はブロディ君のように大人しめ。
たとえ現状にムカついていてもめったに口には出せず、やられてもやり返せる度胸と腕力に欠けている。ドン底を見たあまりに、いっそ自分を取り囲むすべての崩壊を願ってしまうことだってある。
もっとも、それが実現してしまったら自分だけの力ではどうにも収拾つけられないボンクラなので、願い事には気をつけなくちゃならない。世界滅亡級というスケールには及ばなくとも、いちいち深い共感とあまりつつかれたくないイタさを呼び起こす描写に、監督がこちら側の人間に思えて仕方なくなる。

そこまではリアルだが、気になっていた女の子が自分に好意を持ってくれて、しかもメタルのCDを貸したら案外ハマってくれたくだりはさすがに願望の領域といえる。
CD貸した相手がそのアーティストにハマるなんてことも少なくとも私の場合なかなか無かったのに、メタルを聴いた瞬間の自己妄想(我、従僕を侍らせ世界の頂点に君臨す!!)までほぼ一致するなんて……やっぱりズルいんじゃないかブロディ君よ!!

ちなみに、本作はエンドクレジットの途中で席を立ったり停止ボタンを押してはいけない類。映画観てると常々思うんだけどさ、地獄って実は楽しいとこなんじゃないの!?

2016年8月12日金曜日

パシフィック・リム&マッドマックス怒りのデスロード絶叫上映@新文芸坐

バケモン(KAIJU&ロボ)にはバケモン(MAD)をぶつけんだよ。

パシフィック・リム&マッドマックス怒りのデス・ロード絶叫上映
2016.7.31. 池袋新文芸坐 ヴァルハラ坐

「殺す気か――――っ!!!!????」
……と、その発表があったとき、全絶叫上映ファンが歓喜の悲鳴を上げたとか上げなかったとか(少なくとも内心では上げたのではないかと思うが)。


ジプシー・デンジャー、文芸坐前ドックから出撃準備。

2013年、いい齢こいた大人たちを超合金ロボとソフビ怪獣で遊ぶ5歳児に急速後退させた『パシフィック・リム』。
2015年、車に詳しい人にもそうでない人にもV8エンジンを崇めさせた『マッドマックス 怒りのデス・ロード』。

近年きってのカルト作であり、訓練された絶叫上映参加者を数多く輩出した映画の二本立て。しかも、小道具・鳴り物・仮装OK。隅田川花火大会も霞む(*主観です)、この夏最大級の祭り襲来である。財布事情や終演後のテンションを予想するに、色んな意味で死を覚悟した。
こんなイベントを企画した新文芸坐の担当さんは、KAIJUブルーの浴びすぎでMADに染まったんじゃないかと思った(?)

ただ、我がTwitterタイムラインではチケット販売直前までパシリムにもマッドにも絶叫にもほとんど言及されなかったので、もう熱が冷めてしまったのだろうか……
と思っていたが、新文芸座の並び待ち購入は最後尾にたどり着く前に売り切れの可能性もあるくらいだったし、チケットぴあ発売解禁後も次々と「買えた!」報告が入っていた。さすが訓練されたクルー&ウォーボーイズ/ガールズ……。

当日、文芸坐には両作品のさまざまなファンアートが展示された。
いつもながら、この界隈の方々は想像力も創造力もレベルが高いなぁ。










もちろんコスプレの方々も気合十分&ハイクオリティ。
まずはパシフィック・リム編。

パシリムオシャレ番長勢といえば。

そしてイェーガーズ。
キュートなチェルノとガチすぎるクリムゾン&ストライカー。

今回の極私的ベストパシリムT賞。

一方こちらはMADな方々。

リクターーース!!(キネカにもいらっしゃったかな?)

絶叫上映に初めて出現されたミス・ギディ。

ジョー様キネカから引き続きキュートです!

ちなみに私、ジョー様Tシャツの上からシャツ&タイつけていつもの簡易ニュートをやろうかと思っていたら、持ってきたYシャツがサイズ小さめで着られなかったという大失態でした。

このように、ファンの気合が尋常じゃないイベントだが、主催者の気合も尋常じゃない。一部コスプレイヤーさんとともに前説登壇するらしいとは、タイムラインで何となくしっていたのだが、まさかマックスの口枷をつけたまま『萌&健太』の看板を持ってくるとは……いわく彼は「元『萌&健太』の店長であり、KAIJUによる都市崩壊後、荒野をさまよっていたところジョー様に捕らえられた」そうです。また同じ場所にあった「竹ノ塚ファイナンス」経営者は友人だそうです。

登壇の瞬間動画。

前説は始まって早々から名言の数々でしたとも。
「夏休みも真っ盛りですが、海にも山にも『シン・ゴジラ』にも行かず、(←すみません前々日の公開初日に行きました)
(東京都知事選の)投票にも行かず……(←さすがに行きました)
行きましたか? 『イモータン・ジョー』とか書きませんでしたか?
都知事イモータン・ジョーになっちゃいますけど」(←正直いっそジョー様と書いてしまいたいと思った瞬間もあったけど水源を押さえられたら困る)
「お客様同士仲良くドリフトして楽しみましょう!」
「ゴミやKAIJUの死骸などはお持ち帰りいただくか一箇所に集めてください」
……絶叫上映においては、主催者さんも訓練されすぎているのです。


上記挨拶以降の前説の様子動画。ずっと名言の嵐です。
最後ブラックアウトするのは、撮影者がV8のためにiPhoneを膝上放置したからです。



そんな熱狂の中、まず始まった『パシフィック・リム』絶叫上映
絶叫上映としては先輩格のパシリムだが、実はクラッカー鳴らす上映は今回が初。普通はバトルシーンでイェーガーのパンチやプラズマキャノンやエアミサイルのタイミングで鳴らすのでは……
と思うところだが、訓練されたパシリムファンはそこでイェーガーと同じ動きでKAIJUと戦い出すのが身体に染み付いているため、クラッカー音は少なめなのだ!
その代わり『マッドマックス』で覚えたのか、「今鳴らすんかい(笑)!」という面白タイミングクラッカーが多発。例えば、

  • ニュート「ロックスターになれるかも」 KAIJUの脳(コン)←ココ!
  • ローリーとテンドー再会のハグ
  • 食堂でのカイダノフスキー夫妻の仲睦まじさ

などなど。クラッカーでなくとも、息子を叱るべきタイミングが分からないハークにローリーが「今叱るべきです」と言うとき、クイズの正解ボタンが「ピンポンピンポーン♪」と鳴っていたよ。
もちろん絶叫のほうは慣れたもので、今日もまた、

  • 「佐藤何か言え!!」
  • 「ニュートと呼んでくれ」→「ニュートーー!!」
  • 「チェルノォォォォォォ!!!」相変わらずの人気)
  • 「芦田先生!!」
  • 「萌&健太!!」(あと今回初めて「竹ノ塚ファイナンス!」の声が)
  • 「大事なことなので二度言いました!」
  • 「あと1回! あと1回!」
  • 「後ろ! 後ろぉぉぉぉ!!」
  • (エンドクレジット半ば)「お帰りーーー!!!」

と、定番の一言が。でも、絶叫上映は立川の第1回を除いてずっと吹替版だったせいか、「ロケットパーーーンチ!!」の代わりに「エルボーロケット!! ナウ!!!」は初めてだったなぁ。
それにしても、みんなで地球を救った(=パシリム絶叫上映)のはおおよそ2年ぶりか。それでもこのドリフト具合と楽しみ具合か……まるで5年ぶりに、しかも初ドリフト相手のマコとジプシーに乗りながらレザーバックとオオタチを倒したローリーだな。


ここで休憩が挟まれたのだが、普段男子トイレ前におじさん方が列を作っていることが多い新文芸坐において、女子トイレの前に長蛇の列が出来るという異例の事態が発生。
改めて、両方とも女性ファンにムーブメントを支えられた映画だなと実感していた。


KAIJUから世界を救ったばかりのところではあるが、世界は瞬く間に石油戦争と核戦争で荒廃してしまった。次は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』である。
ここでも再び主催者さんが前説に現れ、イモータン・嬢(女性なので)に命じられて場内を「V8! V8!」コールで盛り上げる。
それにしてもアジテーションの言葉が「トカゲが出ますよ!? きなこもちが出ますよ!? アンゼたかしが出ますよ!?」って。どれも絶叫上映上級者のフレーズじゃないかい。

クラッカー使用については「報知機が鳴るので控えめに」という立場ではあったが、結局最後は舞台上&映写室からクラッカーを客席にバラまいていた文芸坐さんであった。

V8コールの強さは、ジョー様から○サインが出たらOKです。

そんな文芸坐さんを裏切り……いやあるいは期待に応え、ワーナーロゴが出た段階からパンパン鳴り始めるクラッカー。そして予言どおり「ト・カ・ゲ! ト・カ・ゲ!」と、いつの間にやら人気者になった双頭のトカゲに手拍子付コールが。
冒頭の長髪マックスに「また髪伸びたな!」との声もあり、車が走り出せばパフパフが鳴り……こちらも相変わらずの統率力&適度なフリーダムさである。
「V8!! V8!!」「イモータン・ジョーーーー!!!」「Witness Me!!」コールの凄まじさはもはや当然として……

  • 「大隊長!! こっち見て!!」
  • 「フュリオサがオレを見た!」「ちーがーいーまーすー! 地平線を見たんですーー!!」(小学4年か)
  • (ニュークスとスリットのにらみ合いで)「チューしろー!」
  • 「きなこもち!!」
  • 本日の極私的ヒット絶叫:「Water」とスプレンディドに水を要求するマックスに「ヘレン・ケラーかよ!!」
  • 「一生その顔でいいの?」の直前に「もう一声!!」
  • 武器将軍の舌打ちに鳴るクラッカー。
  • 「ア・ン・ゼ! ア・ン・ゼ!」

終盤のカーチェイス&バトルに突入するころには、今までクラッカーセーブしていたけどこの際使い切ってしまわねば!! と思った人が私以外にも結構いらっしゃったのだろうか。もとより絶えなかった硝煙の匂いがさらに濃くなっていた。ヤケになった武器将軍並みのガンフィーバーであった。

そして不評だった日本オリジナルエンディング「Out Of Control」も、もはやライブ会場のノリと化すのがお約束に。不思議なもので、意にそぐわぬ企画にただクサるのをやめ、ここまで陽性のエンターテインメントに昇華できると、「(何にかは分からないが)勝った!!」という謎の高揚感に包まれるのだった。

あ、ちなみにドゥーフウォリアーが映るたびにぶん回される赤のサイリウムですが、砂嵐の中でニュークスが取り出す発炎筒、武器将軍の目前に掲げる発炎筒、そしてエンドロールの「Out Of Control」で振る用といろいろ活用できるので、100均のでもいいので持って行くことをお勧めします。
パシリム同時上映だったら、冒頭のジプシー誘導やクリムゾンタイフーンと一緒にサンダークラウドフォーメーションででも使えたしね。

熱狂の中いざ客席が明るくなってみると、劇場の上半分が、よく報知機が作動しなかったな……というほど煙で真っ白に。前説いわく、万一報知機が作動した場合は「上映を中断し、コスプレファッションショーをやる」つもりだったとか。……うーん、それはそれで見たかったけど、やっぱり上映中断しないで良かったな! というか、よくそこまでギャンブルなイベントを実施してくれたな新文芸坐さん!

そんな新文芸坐さんや絶叫上映の運営・企画の方々。登壇してくださったコスの皆様。登壇せずとも素敵なコスを披露してくださった皆様。ファンアート提供の皆様。そして、一緒に客席でクラッカー鳴らしたり、人類を滅亡の淵から救うべくKAIJUと戦ったり、世紀末の荒野をヒャッハーしながら駆け抜けてくれた皆様。

こんなラブリーデイにレッツゴーフィッシンできたのは皆々様のおかげです。
ありがとう! ありがとう! ありがとう!
V8!! V8!! V8!!

マックス! フュリオサ! 萌&健太! そして新文芸坐さん!
みんな本当にありがとう!!


【参考資料】パシフィック・リム&マッドマックス絶叫上映激闘の歴史(一部)
2013年10月 パシフィック・リム池袋絶叫ナイト
2013年11月 パシフィック・リム立川爆音上映会
2015年10月 マッドマックス池袋新文芸坐絶叫上映
2015年11月 マッドマックスキネカ大森V8上映

2016年7月24日日曜日

イット・フォローズ

それはいつかやってくる。

イット・フォローズ('15)
監督・デヴィッド・ロバート・ミッチェル
出演:マイカ・モンロー、リリー・セペ



だいたいにおいてオタク性と小市民性がまるっと反映された夢しか見てない自分が昔に見た、数少ない象徴的な夢が、この映画が描いてきたものに対するヒントかもしれない。

夢が進むにつれて私は小学生から高校生までに変わっているのだが、その時々で『ファニーゲーム』に出てくるパウルとペーターに似た白服の2人がついてきているのに気づく。
気づいた時点で逃げればしばらく現れないが、時間が経過するとまた現れる。
やがて、何故か海外の巨大スーパーのような場所にて、自分以外の人々にも自分のとは異なる「白い服の2人組」がついてきていることが分かる。みんなそいつらに立ち向かっていくのだが、倒すことは誰にもできないのであった。

19歳のジェイはボーイフレンドのヒューとデートを楽しんでいた。ある夜、車の中でセックスをしたあと、ヒューはジェイに麻酔薬をかがせて意識を失わせる。気が付くと廃ビルの中で車いすに縛り付けられていたジェイに、ヒューは説明した。
「君にセックスを通じてある呪いをうつした。あるものが君のあとを追ってくる。それはゆっくり歩いてくるが、確実に君のもとにやってくる。それに追いつかれたら死ぬ。君がそれに殺されたら、呪いは俺に返ってくる。だから、誰かと早くセックスして、呪いをうつせ」
その後、車で彼女を自宅の前に放り出すと、ヒューは逃げるように走り去って行方をくらませた。
それからしばらくして、大学の授業中に、ジェイは中庭から病院のガウンを着た老婆がこちらに近づいてくるのを目にする。声をかけてみても反応はなく、ただただこちらへ向かって歩いてくる。しかも、他の人には老婆の姿が見えていない。恐怖にかられたジェイは、妹ケリーや幼なじみのポールに助けを求める。

ゾンビに走ってこられたら逃げ切れる気がしない鈍足型なので、個人的にはできればモンスターには来るなら徒歩で来ていただきたい派。
しかし、本作の「イット=それ」は徒歩とはいえ、ついてこられたらとんでもなく厄介である。

ゾンビなら頭を撃てば倒せる。ジェイソンやマイケル・マイヤーズのような殺人鬼でも物理攻撃は効くし、上手くやれば注意を逸らすこともできる。
しかし、「それ」は頭を撃っても死なないし、除霊ができるわけでもない。何かこの世に未練や怨念を抱いたものでは……といったバックグラウンドも不明。とにかく対処法が分からないのだ。
仮に誰かとセックスすることで呪いをうつしても、その相手ががまた他の誰かとセックスしても、その相手が死んでいけばいずれ自分に呪いが帰ってくる。一時的に回避はできても、完全に消し去ることはできないのである。

さらに、「それ」には明確な形がない。あるときは老婆、あるときは小便を漏らし続ける下着姿の女。
明らかに不審な姿ならともかく、身近なよく知っている人間の姿をしていることさえあると、もはや誰が「それ」なのか分からない。「それ」は喋らないこと、呪いに感染していない人間には見えないことだけが識別手段だ。
ならば、今観ているシーンの奥に映っている、こちらに歩いてくる人影は? あれはただの通行人か、それとも……? ディザスターピースの手掛けるシンセ音楽も相まって、不安の絶えない映画である。


以下、ネタバレに該当する作品解釈の記述あり






セックスしたやつ(あるいはしそうなやつ)から先に殺されるのは、スラッシャー映画のお約束。
そこには「だから安直に快楽を求めるな、セックスには気をつけろ」という教訓的側面と、「どうせオレらには縁のない世界の話だよ! 死ねバーカバーカ!!」という作り手の過去のフラストレーションの反映的側面がある。

本作の「それ」が興味深いのは、そうした従来のホラーの法則に当てはまらないところだ。
「それ」はセックスによって伝染するものだが、セックスによって(しばらくの間は)回避することもできる。セックスは呪いでもあるが、生き延びる手段でもあるのだ。このあたりが、「それ」を単に性病のメタファーであるとは考えにくい所以である。

「それ」はおそらく死そのものである。
そう思われる理由は、友人ヤラが引用するドストエフスキーの『白痴』の1節からも匂わされているが、ジェイが19歳という年齢であり、デートやセックスが大人への道とされていることもある。大人の許可を得られなければ超えることのできない、デトロイトの中心と郊外を分ける「8マイルロード」への言及もそうだ。
大人への道を歩み出すことは、死が近づくことでもある。「それ」に感染することは、死を意識し始めることでもあるのだ。

誰にも死を避けることはできない。だからジェイたちは「それ」を消し去ることができなかった。
ただ、いつかやってくる死の恐怖を、心から信頼できる誰かとそっと分かち合うことはできる。それこそ人間の救いであり、強固な愛情の形ではないだろうか。
そう考えると、あのラストには不吉さと同時に、優しさも感じられると思うのだが。

2016年7月19日火曜日

ノック・ノック

「いいぞもっとやれ」なのか、「もうやめたげて!」なのか。

ノック・ノック('15)
監督:イーライ・ロス
出演:キアヌ・リーブス、ロレンツァ・イッツオ



そうだよな、いくら美女が訪ねてきたっていっても家に上げるのは怖いよな……と、教訓を得た気になってしまったがちょっと待て。
自分をキアヌ・リーブス(イケメン50歳)と同化するんじゃない。だいたい、同じ「大雨に降られて通りすがりの家に駆け込む」というシチュエーションでも、

自分の目には事態がこういう感覚で映っていたとしても……

 駆け込んできた相手の目には、事態はこう映るかもしれないぞ!

上記シチュエーションは『ムカデ人間』を引用しましたが、『ロッキー・ホラー・ショー』でも可です。

建築家のエヴァンはビーチへ休暇に行く家族を見送り、仕事のため一人家に残っていた。その夜、誰かが玄関のドアをノックする。開けてみると、豪雨でずぶ濡れの若い女が2人。道に迷った上、携帯が水没して困っているらしい。
エヴァンはその2人、ジェネシスとベルを家に招き入れ、タクシーを呼んでやることに。彼女らはエヴァンに好意的な素振りを見せ、次第に距離を縮めてくる。家族のことを思い拒否するエヴァンだったが、しまいには誘惑に負けて彼女らと3Pに及んでしまう。それが地獄の始まりだった……。

『ホステル』『グリーン・インフェルノ』といった王道イーライ・ロス作品に比べれば、本作で流れる血の量は申し訳程度。
だが、残酷度はある意味それらをしのぐ域に達している。

旅先で拷問されたり喰われたりといった残酷さには、現実感がないという人もいる。
遠くの地の実情など分からないし、殺人ウィルスや娯楽スナッフや食人族なんか存在しないだろうし、第一よそへ行って怖い目に遭うのが嫌なら、安全圏たる自宅に留まっていればいい。
しかし、その安全圏に実は恐ろしいものを招き入れてしまったら? そいつがあからさまに自分を殺そうとしなくとも、少しずつ確実に自分の築き上げてきた人生を壊し始めたら? 

「そんなの知らない人を家に上げなきゃいいだけのことだし……」と片づけるなかれ。浮気という形で、もうトラブルを招き入れちゃってる人がいないとも限らない。
「いや、浮気とか男女関係とか自分には無縁ですから……」とも片づけるなかれ。安全圏にうっかり招き入れる大ダメージは、人の形をしているとは限らない。例えば、SNSでプライベートな写真や動画をヘタに扱ってしまったとかな。
食人族に喰われることに現実感がないなら、こういうトラブルなら痛いほど現実的じゃないのかな。

イーライの世界には、もはや安全な場所など存在しない(それを言ったら実際、真の安全圏など存在しないけどね)。誰もが全身ただれたり手足を切断されたりするわけじゃない。しかし、肉体的ダメージは大したことなくとも、精神と社会性は生きたまま喰われるぐらいのダメージを喰らうかもしれないから、心当たりのある人は覚悟したほうがいいよ。

それにしても、そんなズタボロになる役をよく引き受けてくれたものだよ、キアヌ・リーブス。昨年の『ジョン・ウィック』で無双ぶりを披露してくれたかと思ったら、今度は美女2人相手にあっけないほどのやられ役ぶり。
元殺し屋でもない限り、「今の生活を壊してはいけない」「自分より(おそらく)弱いであろう相手を殴ってはいけない」という社会の目には弱い。

本作を「浮気心に対する痛すぎるしっぺ返し」とみなした場合、エヴァンの落ち度はギリギリである。バスルームで美女2人全裸待機の段階まで何事もなかったのだから。
とはいえ、そこまで我慢したレベルの浮気心であっても、些細なヒビから陶磁器が割れるようにあっけなく人生はズタボロになるのである。どうしようもない事故なんて言い訳じゃ済まない。

逆に「パーフェクトな人生に対する積もり積もった羨望」とみなすと、エヴァンは冒頭からして有罪である。
高級住宅地の広ーーい家に住み、立派な仕事をしていて、美人で芸術家で優しくてユーモアのある妻がいて、パパが大好きな子どもたちがいて、仕事相手も良き友人で、ターンテーブルとKISSのレコードまで持っていて(個人的にはコレが一番羨ましい!!!)……
と、「不公平だ! せめて早めにハゲろバーカバーカ!!」と地団駄踏みたくなる社会的優位性。経済的にも人間関係的にも負ける気しかない人間にしてみれば、せめてフィクションの中でだけでも形勢逆転してみたいじゃないですか!! というドス黒い発散にもなりうる映画である。
ただ、そこまでして人を転落へと追い込むジェネシスとベルに、いったいどんなモチベーションや人生背景があったのだろうか……と考えるにつけ、自分のざまぁみさらせメンタリティがいかにちっぽけか思い直させられるよ。


以下、ネタバレではないにしろひとまず伏せておいたほうがいいかもしれない記述あり




さらにもう一つ、イーライ自身が示した、この映画に対する興味深い仮説がある。それは、「ジェネシスとベルは実は存在せず、すべてはエヴァンの頭の中で起きたこと」かもしれないという可能性である。(映画秘宝2016年7月号P51参照)
鵜呑みにするにはいろいろと疑問が生じる話ではあるが、この説が正しいとしたら、きっかけは久々にターンテーブルでかけた爆音のレコードか、久々に嗜んでみたパイプか、あるいは家族の目を気にせず一人で過ごす夜そのものか。

いずれにしても、エヴァンは気づいてしまったのかもしれない。
オレはここで何をしているんだ? DJとしてカッコいい音楽をかけまくって、あちこちを飛び回って、若い女の子にモテまくっているはずじゃなかったのか? 家族を気にして、社会性を気にして、満ち足りてはいるけれどちっぽけな型にハマった人生じゃないか! オレはこんなはずじゃない……!!」等々。

つまり、その後すべてをことごとくぶち壊してしまったのは、エヴァン本人ということになるのだ。
そう思うと、「浮気も家族も自分には関係ない」「安全圏にいれば大丈夫」「トラブルを招き入れないようにすれば大丈夫」なんて、ますます言ってられなくなるよね。

しかし、いずれの観方にしても、揺るぎない事実をジェネシスとベルは語っていた。
犠牲になるのは家族
これこそ、最も残酷にして最も現実的な真実ってやつじゃないんですかね?

2016年4月23日土曜日

ミラクル・ニール!

人類みな猿の手。

ミラクル・ニール!('15)
監督:テリー・ジョーンズ
出演:サイモン・ペッグ、ケイト・ベッキンセール



もし右手を振るだけで何でも願いが叶うなら? 
じゃあ70㎜フィルム上映できる昔の映画館が復活するといいなー。
そこで『ヘイトフル・エイト』かけてほしいなー。
あと新橋文化劇場復活してほしいなー。
洋画の日本公開本国と同じくらい早めたいなー。
ファンの不評を買うヘンなプロモーションやめてほしいなー。
ラムシュタインまた来日公演やってくれないかなー。
……とか気軽に言っちゃったこの願い事の副作用って何なんだろうなー。

1970年代、人類は未知の生命体との接触を試みるため、探査機を打ち上げた。銀河の彼方に辿り着いた探査機は、宇宙人たちに回収された……が、地球のデータを見た彼らは地球人を下等生物とみなし破壊が採択された。
ただし、銀河系の法律により、破壊予定の惑星にも一度チャンスを与えなくてはならない。ランダムに選んだ地球人一人に全能のパワーを与え、その力をどう使うか見極めるのだ。
かくして、人並みに下心もあるが決して悪人ではなく基本的にお人よし、特別才能に秀でてもいないがバカでもない学校教師ニールが、偶然パワーを手にしてしまった……。

あのモンティ・パイソン×サイモン・ペッグの英国産コメディ! という大看板ではあるが、映画自体は小粒。サイモンを主演でフル活用するならそれぐらいの規模がちょうどいいのだろうけど、パイソンズの毒気を期待するとやや物足りないかもしれない
。パイソンズが吹替を担当している宇宙人たちの会議パートが当然一番パイソンズ度が高いのだけれど、劇場公開時にそこがあまり笑いどころになってはいなかったのは、彼らをあまり知らない層が多かったからだろうか?

その代わりに一番毒(と愛嬌)を振りまいているのが、故ロビン・ウィリアムズが声を当てた愛犬デニス。飼い主への忠誠心とケモノの本能が常にせめぎ合い、なかなか落ち着いてくれず、時としてその本能が飼い主にダメージを与えることにすらつながる(そして怒られてやっとシュンとする)。「犬はこっちの気持ちを分かってくれてる」という考えにも、人間側の思い込みにすぎないところもあるのかもなぁ。
それでも最終的には、やはり犬はあらゆる意味で人類最良の友なのだなと思わせてくれる。

もちろん、サイモンの可愛らしさもデニスに負けちゃいませんよ。パワーを操っているようでいてパワーに操られているわたわた感とか、ケイト・ベッキンセールへの片思いとか、パワーを使う権限を天敵に取られた結果とんでもない格好になっているところとか。ところで、「ザ・いい人キャラで、キュートで、人並みの下心くらいは持っている」というサイモンのキャラクターって、モンティ・パイソンのマイケル・ペイリンに近いポジションなんじゃないですかね。

日本のプレスでは何かと「超テキトー男」と言われているニールだが、何度か前述したとおり、彼は基本的にお人よしかつちょっとした下心を持っているだけ。多少のズルや手抜きをすることはあっても、決して適当に生きているわけではない。
つまり、悪意も善意も思いつきも、人類の大多数と変わらないのである。「理想的なボディになれ」「校長が僕に優しくなれ」といった身近でセコい願いも、「アメリカの大統領になれ」なんて大それた願いも、もし同じ全能の力を手に入れたら人類の99%が一度は試してしまうことなんじゃないだろうか。

そして厄介なことに、この願いはなかなか思うように実現してくれない。
死んだ生徒を生き返らせようとして「死者を甦らせろ」と言ったら町中ゾンビだらけになってしまったり、同僚の女性教師に片思いするも無視されている友人レイのために「彼女がレイを崇拝する」よう願ったらカルト宗教が誕生してしまったり。
こんな力を持っているのだからいっそ世界のためになることを……と思った善意の願い事は、もっとエラい事態を招いてしまう。ニールが人類の大多数と同じような存在なら、我々だって彼とほぼ同じことをやらかしてしまうんじゃないだろうか。

本作はW.W.ジェイコブスの短編『猿の手』のパイソンズ流パロディにも見える。どの人間がパワーを持っても、結果が「猿の手」になってしまうのなら……
うん、いっそ委ねてしまったほうがいいかもしれないね。「犬の手」に。


ちなみに、冒頭で述べた願い事の考えうる副作用としては……

  • 70㎜フィルム映画館が出来て『ヘイトフル・エイト』を上映→採算とれなくてすぐ潰れる、もしくは映画館が建った土地は実は保育所建設予定地で、地域に多大な迷惑をかける
  • 新橋文化劇場復活→耐久工事を無視したため高架線倒壊事故発生
  • 洋画の公開を早める→配給会社がにわかに忙しくなり過労死増加
  • マシなプロモーション→ファンは満足するが客足への影響なく費用だけがかさむ(あってほしくないことだけどなぁ)
  • ラムシュタイン来日→急に来日スケジュールを入れたことでバンドのツアースケジュールを狂わせてしまう

……ってことが最悪の事態かなぁ。やっぱり「責任持てんよ、ワシは」だから今の願いナシで。(右手を振る)

2016年4月7日木曜日

ヘル・レイザー

痛いの痛いの、飛んでこーーーーい!!!

ヘル・レイザー('87)
監督:クライヴ・バーカー
出演:アンドリュー・ロビンソン、クレア・ヒギンズ



「死ね」の婉曲的言い回し(ホラーファン編)として、
「お前なんかチアリーダーになれ!」
「クリスタルレイク行けばいいのに」
「エルム街で寝てろ!」等を考案。
その中にはもちろん「パズルボックス送ったろか」なんてのもあったのだが、これにだけは一つ懸念がある。
だって、もしも相手が痛いの大好きなドMだったら、「お幸せに!」の意味合いになっちゃうだろ。

フランク・コットンは、究極の快楽を得られるというパズルボックスを怪しげな商人から買い、開けようと試みていた。だが箱が開いた瞬間、フランクの身体には無数の鈎針が刺さり、全身がバラバラの肉片と化してしまう。
しばらくして、フランクの所有していた家に兄夫婦・ラリーとジュリアが引っ越してくる。実は結婚する直前にフランクと不倫関係にあったジュリアは、結婚生活を続けながらも彼のことが忘れられずにいた。
その引っ越しのさなか、ラリーがケガをして流れた血により、屋根裏の床下からフランクが変わり果てた姿で甦る。元の姿に戻るためには血肉が必要だと説明され、ジュリアは屋根裏に次々と男を連れ込み、フランクに与える。そんな義母の様子を訝しむのが、ラリーの娘カースティだった。

1978年の『ハロウィン』を皮切りに、80~90年代初頭にかけてシリーズが量産された『13日の金曜日』『エルム街の悪夢』などのスラッシャーホラー。
本作の公開はこれらの作品と同じ時代だが、一般的なスラッシャーホラーとは大きく異なる。

相違点の1つは年齢層。スラッシャーものにおいて、犠牲者の多くは若者。それも、セックスとドラッグに抵抗のない人間ほど殺される率が高い。これは、若さゆえの奔放さに対する罰や警告とも解釈されている。
だが、本作の中心人物は、ほとんどが中年の域に差し掛かった大人たちだ。「若さゆえの奔放さ」にはある程度免責があるが、いい大人になればなるほどそれはなくなり、命を落とす理由にも「業の深さ」がつきまとう。

もう1つは快楽の有り方。若者が安直に快楽を求めるがゆえに罰を受けるのなら、大人たちは快楽を突き詰めすぎる、あるいは時間をかけてでも求めすぎるがゆえに罰を受ける。フランクは究極の快楽を求めて禁断の箱に手を伸ばし、ジュリアはフランクの肉体を求めるあまり男たちを釣ってはフランクの餌にし、それ相応の地獄へ堕ちていく。

さらに言えば、スラッシャー映画では快楽を求めた代償として苦痛を味わうわけだが、本作では快楽と苦痛は限りなく近い存在。それはパズルボックスから呼び出された地獄の魔導士=セノバイトたちの姿を見れば一目瞭然なのだが、フランクとジュリアさえも、堕ちていくほどに快楽に近づいていくのである。

普通なら、こうした深い業や欲望に対抗するのが、ファイナル・ガールの若さと純粋さ。だが本作のカースティは、確かに一番若い存在ではあるが、家族から自立しボーイフレンドも持ち、ほぼ大人の域に足を踏み入れている。
何より、この恐ろしい事態に立ち向かい、魔導士にすら打ち勝とうとする姿勢からは、しぶとさと狡猾さが見て取れる。惨劇を引き起こす側にしても立ち向かう側にしても、「大人の作品」と言える。
ただ、ジュリアとカースティのこうした性格づけには、クライヴ・バーカーの女性嫌悪の影響が関わっているらしいのだが……。

一般的スラッシャーホラーとの相違点はまだ残る。殺害方法やセノバイトたちのスタイルに見て取れる、フェティッシュ性の高さだ。
刃物で刺す/ナタや斧といった大振りの武器で一撃といった殺しを男性シンボル的とするならば、ゲイでマゾ嗜好(そして女嫌いというのが公然の秘密である)のバーカー監督の美学がそれとは別の方角へ向かうのも納得できる。それが、「皮膚を鈎針で引っ張る/引きちぎる」という、繊細にして痛さの度合も高い死である。

だが、何よりフェティシズムにあふれているのは、パズルボックスが開けられるとともに現れるセノバイトたちだ。裂け目や切れ目が規則正しく入れられ、フックを引っかけた痕まである皮膚は、サスペンションやスカリフィケーションの進化系ともいえるマゾヒズムの芸術。さらに、その身体を包む黒いレザー&ラバーの衣装は、ゴスのスタイルにも通ずる。
中でも、一際規則正しく碁盤の目にピンをうずめた頭のピンヘッド(本作当時は単にLead Cenobiteと呼ばれていた)のカリスマ性たるや。演じるダグ・ブラッドレイの英国舞台人然とした大仰な喋り方も相まって、不思議と神々しさすら感じられる。

セノバイトは、もはや快楽も苦痛も突き抜け、悟りの域に達した者たちだ。その前には、フランクやジュリアの際限ない欲望すら泥臭く見える。それなら(たとえ実質変態でも)より崇高な域に達したほうがまだいいのでは……と勘違いし始めた方がいらっしゃるのなら、クライヴ・バーカーの地獄世界はなかなかに居心地いいのではと思いますよ。

ちなみに、昨年リバイバル上映を記念して久しぶりにヘルレイザー3作目までを観返した際、深夜のノリか地獄からの囁きか、危うく海外オークションサイトから真鍮製パズルボックスをポチりかけていた。この体験を「地獄の淵からの生還」と勝手に呼びたい。

2016年3月28日月曜日

ヘイトフル・エイト

ヘイトフル・アメリカ、ホープフル・アメリカ。

ヘイトフル・エイト('15)
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:サミュエル・L・ジャクソン、カート・ラッセル



「愛憎半ばする関係だね」
マリリン・マンソン師匠は自身とアメリカの関係性をこう語った。
本作観賞後、もしかすると同じ問いかけをしたら、タランティーノも同じような答えを返すかもしれないと思った。ただし、師匠の倍以上に喋りながら。

雪山で足止めをくらった賞金稼ぎマーキス・ウォーレンは、レッドロックの町へ向かうために通りかかった1台の駅馬車に同乗させてもらう。馬車に乗っていたのは同じく賞金稼ぎのジョン・ルースと、彼と鎖で繋がれた賞金首の女デイジー・ドメルグ。ルースはデイジーをレッドロックへ護送し絞首台へ送る予定だ。道中、レッドロックの新任保安官だという、元黒人殺しの略奪団員クリス・マニックスも同乗してきた。
猛吹雪が迫ってきたため、駅馬車はレッドロックまでの中継地点である「ミニーの服飾店」に停車。店には同じく吹雪で足止めされた3人の男たちがいた。レッドロックの絞首刑執行人でイギリス人のオズワルド・モブレー、カウボーイのジョー・ゲージ、南軍の元将軍サンディ・スミザーズ。そして、ミニーに留守の間店を任されたというメキシコ人のボブ
それぞれの素性は果たして本当なのか? 実はつながりのある者たちもいるらしい? 疑惑と緊張感が高まる中、遂に事態は殺人へと発展する……。

日本では「密室ミステリー」と宣伝された本作ではあるが、ミステリーならキモになるはずの「誰が/どうやって殺した?」問題は、まったくと言っていいほど関係がない。むしろキモとなる謎は「こいつら、実際のところどういう奴なんだ?」「どう決着をつけるんだ?」である。そこがタランティーノ自身言及していたように、『遊星からの物体X』を彷彿とさせる。

ただし、『物体X』のようにクリーチャーが潜んでいるわけではないので、疑心暗鬼サスペンスはグロテスクな何かが現れることもなく中盤までずっと会話劇中心に展開される。映画自体およそ3時間続くのだから、タランティーノ最大級の長丁場である。

従来のタランティーノなら、『レザボア・ドッグス』のマドンナ話なり『パルプ・フィクション』のオランダのマクドナルド話なりに該当する、本筋に一切関係ないムダ話を入れているのではないかと思われるが、困ったことに本作の会話劇にはキャラクターの人となりや主義や思想が織り込まれているため、ムダなところがない。『イングロリアス・バスターズ』のランダ大佐の長喋りに削れるところがないのと同じだ。
ただし、ある事件を転機に、一気に山小屋の中は血しぶきと脳髄まみれになっていく。『物体X』転じてもはや『死霊のはらわた』。そりゃ3時間で満腹にもなりますよ。


以下、ネタバレ記述あり





もともと主要登場人物の大半がロクな輩じゃない傾向にあるタラ映画だが、今回の主要メンバー8人はロクなもんじゃないなんてもんじゃない。
賞金稼ぎマーキスは元北軍少佐で、南部の白人を殺しまくっていた黒人。しかも白人憎悪が高じたあまり、聞いてるほうがドン引きするほどの暴挙もやらかしたことがある。
一方マニックスやスミザーズ将軍は黒人を大量虐殺してきた元南軍。必然的に南北戦争時の憎悪がたちこめる(そして、サラリと屋内を南北や中立地帯に分けていくのがイギリス人だ)。
その南北対立には積極的に関わろうとしないいわばリベラルのルースとて、何かにつけてデイジーを鎖で引っ張り、全力でぶん殴る。
同じく対立に関わらずとも、一番「コイツ怪しい」感を振りまいているのは、口数の少ないカウボーイ(典型アメリカン)と、突然店番になっているメキシコ人(典型移民)

密室の中は、人種と歴史にまつわる暴力と憎悪が渦巻くアメリカだ。
ただそうなるとデイジーの立ち位置が微妙になる。
一見一方的な被虐対象である彼女だが、ルースは決して女だから平気で殴っているのではないし、殴られ続けるデイジーも懲りた様子もなくルースをバカにし、ゲラゲラ笑う。
賞金首の大罪人と言われてはいるが、デイジーが具体的にどのような罪を犯したのかは分からない。

だが少なくとも、彼女はリンカーンがマーキスに宛てた手紙(実はマーキスが作った偽物だが)にツバを吐き、まじめに働く気のいい人々が彼女のせいで命を落とし、実は偽リンカーンの手紙に涙する純粋さを持ち合わせていたルースも死んだ。
彼女には「アメリカの良心」をことごとく潰す純粋悪の役割がある。そう思うと、彼女が『エクソシスト』の悪魔に憑かれたリーガンのごとき鬼の形相になっていくのも分かる気がするのだが。

『イングロリアス・バスターズ』ではナチスに、『ジャンゴ 繋がれざる者』では奴隷制度に対し、フィクションの世界ならではの代理復讐を遂げてきた近年のタラ。当初は本作もその流れを汲んでいるように思えたが、これは復讐ではなく希望だった。
オズワルドいわく「執行人が悪人の首を吊れば正義、犠牲者の遺族が殺人犯を殺せば西部の正義。一般に西部の正義のほうが好まれるが、それは正義ではない」(要約)
白人嫌悪の元北軍黒人マーキスと、黒人嫌悪の元南軍白人マニックスは、「悪人は捕えて正式に絞首刑にすべき」というルースの意思=西部劇以降のアメリカの正義を継ぎ、2人がかりでデイジー=アメリカの善を殺す悪を吊し上げる。
そこに至るまでに血と死体の山が築かれているものの、「対立を超えて手を結び正義を成す」という字面を拾えば、アメコミヒーローにも通ずるアメリカの正義に対する希望の姿が見えてくる。

タランティーノはフィクションの力を、悪を倒してスカッとさせることだけでなく、その先に現実世界に希望を見出すためにも駆使した。偽リンカーンの手紙が、いち黒人の身を守る護符から、対立の壁に空いた最後の風穴になったように。
この映画が、いまだアメリカのどこかでくすぶっている憎悪に対する偽リンカーンの手紙になったとしたら……そんな希望ぐらい託してみてもいいんじゃないだろうか。

2016年3月22日火曜日

未体験ゾーンの映画たち2016

パーティーで……いや劇場で会おうぜ!!

未体験ゾーンの映画たち2016
2016.1.2.~2016.3.11. ヒューマントラストシネマ渋谷

未体験ゾーンの映画たち2014の記事はこちら
未体験ゾーンの映画たち2015の記事はこちら


「この冬はヒュートラ渋谷があったかいんだから~!」にダマされるな!
ヒュートラ渋谷は熱湯風呂だ!!
35回ドボンしたけどな!!

本数が増えると、その分玉石混交(石多め)になっていくんじゃないか……とか思ってたけどそんなことはなかったぜ! というか今年は50本もありながら、玉のほうが多いんじゃないのか? ああ、こんなにイイ映画たちがDVDスルーの憂き目に遭いかけていたのか!! なんてキビしいんだろうな映画配給の世界って……。
そういう意味では、2014年から何度も言っている通りつくづくこの企画に感謝だが、各配給会社が未体験ゾーン参加作品を選ぶ際、ファンタジーやファミリー向けは社内で落選しているらしいとのこと(未体験ゾーンパンフレット収録・配給会社座談会より)。そういえば、劇場ロビーで未体験ゾーンのポスターを見た女子高生たちが「怖そうな映画ばっかりなんでしょ?」と喋っていた。度胸があれば「そんなことねぇよ!」って言いたいけど、実際「各国から集結したあらゆるジャンルの映画」といっても、大半を占めるのはホラーとかサスペンスとか血みどろアクションだから、彼女らもそんなに間違っちゃいなかったんだよなぁ。
もしも来年以降、配給会社さんが思い切ってファンタジー/ファミリー作品を送り込んだとしたら、未体験ゾーンの客層にも変化があるのだろうか? うーん、どう転ぶか分からないけど、そんな試みがあったらまた面白いだろうなぁ。


未体験ゾーンの映画たち2016ベスト


1位 デス・ノート(原題:Let Us Prey/ソフト化後題:デッド・ノート)

「どうせ便乗タイトルだしなぁ」と邦題で軽くみられがちなのだが、邦題のことはいったん忘れて観てみてくれ! 作品自体は小粒でも、オカルトベースでありながら怒涛のゴアゴア祭りへと突入する傑作ホラーなんだ! そして、リーアム・カニンガム演じる謎の男の最後のセリフは、2016年最高クラスの殺し文句にして口説き文句なんだ!!


2位 アメリカン・バーガー

2016年の劇場観賞映画第1号の栄誉を持って行ってしまったバカ。徹頭徹尾バカ。タイトルを『アメリカン・バーカー』と書き間違えても間違いじゃないくらいバカ。正体はアメリカ人バカの皮を被ったスウェーデンのバカバカなアメリカ人&バカなアメリカ映画の概念は国境を越えてほぼ共通なのだ。


3位 バンド・コールド・デス

時代を先取りしすぎた音楽ゆえに、35年も寝かされてきた黒人パンクバンド・デスのドキュメンタリー。あまりにも映画的な現実の物語は、ときに残酷だがときに劇的。初めて聴いた人間誰もが涙ぐんだり鳥肌立ったりしたというデスの音楽は、本当に衝撃的なカッコよさだった。


4位 私はゴースト

古典的でもあり斬新でもあるホラー。実験的映像かと思っていたら、ラスト15分に心底ゾッとさせられ、エンドクレジットの頃には切なささえ覚える。


5位 グッドナイト・マミー

今年の未体験ゾーンの厭な映画No.1。ママが今までのママじゃないという不安、彼女は本物のママなのかと疑う双子が取る最悪の手段、そしてサイズがでかい大量のG……と厭な描写がこれでもかと続く。しかし何より厭なのは、思いの違いから生まれた深い断絶。これがまた厭な結末を招くのである……。よくアカデミー外国語映画賞にノミネートされたなぁ。


6位 ブレイキング・ゴッド

『ブレイキング・バッド』に引っかけたいがあまり血迷った邦題で、共同監督/脚本/主演が『マッドマックス 怒りのデス・ロード』のオーガニック・メカニックことアンガス・サンプソンとあっては一体どんな珍作かと思われるが、これが実にしっかりした構成。素人が麻薬ビジネスに手をだして窮地に追い込まれる映画は多々あれど、本作は飲み込んだ密輸ヘロインが出てきたら逮捕されるからひたすらウ○コを我慢するというド底辺のピンチ。警察も容疑者がウ○コするのをひたすら待つという文字通りヨゴレ仕事。しかもこれがおおむね実話に基づいてるんだからある意味ヤな話。その中でももっともヤな描写をやってくれたのはもちろんアンガス。さすがオーストラリア代表変態怪優


7位 ライアー・ハウス

ほぼトレーラーハウス内だけで、大金の行方を巡って腹の探り合い&騙し合い&殺し合いがくり広げられ、金を巡る争いだけでこんなに血肉が……というほどの死体処理ゴアゴア祭りへ。といっても、ディスポーザーが詰まってブツブツ言ったり、ミキサーが壊れてアワアワしたり、煙が立ち込めすぎてゲホゲホしたりと、状況のグロさに反してカラリと能天気な笑いあり。数少ないキャラクターたちが皆ド田舎のヤな奴オーラを醸し出しているのがイイが、特にジーナ・ガーションは齢を経てまたイイ顔になっていた。目元のくすみもほうれい線も、もともと低かったのがさらにしわがれた声も、一般的に女優にはマイナス評価になるところがすべて彼女の強みだったよ。


8位 SPY TIME

冴えない男と思っていた父親は実はベテランスパイで、冴えない息子も実は父親にスーパー殺人技を仕込まれたスパイ予備軍だった!? スペイン産・コミック原作の007パロディ系スパイ映画。スパイの世代交代であり、親子の物語であり、若者の成長劇でもあり……だからある意味『キングスマン』でもある。確かに007やキングスマンに比べたら遥かに低予算だけど、敵は切手に投資失敗して資金難&味方も予算削減で部門縮小という背景アイディアの妙でカバー。コメディではあるけれど、バイオレンスには意外と容赦がないし、決して甘くはない結果も突き付けてくるし、エロはなくても大人の映画だ。


9位 クリミナル・ミッション

『ウォッチメン』のロールシャッハあるいは2代目フレディことジャッキー・アール・ヘイリーの監督デビュー作。「大物から小物まで裏社会の野郎どもが右往左往(ブロマンス要素は皆無で単にムサいだけ)」という初期ガイ・リッチーテイストが個人的に大変好み。ついでに、大どんでん返しというほどではないにしろ、話のツイストも仕込んであったのでお得感も味わえた。もっと言えば、ジャッキーさんの最大チャームポイントたる頭蓋骨後ろの出っ張りを長々と拝めたのもお得だった(たぶん私だけだろうが)。


10位 死の恋人ニーナ

セックスするたびにマットレスやシーツを血みどろにしながら現れる、彼氏の死んだ元カノ・ニーナ。これといって深い恨みも未練もないので、どうすれば成仏できるものなのかニーナ本人にも分からず、ただ現れては人のセックスを邪魔してグダグダ喋るだけ。そしてニーナが現れるたびに血みどろ寝具の後始末をしなければならない恋人たち。おかしさと哀しさと迷惑を振りまく、乾いた笑いのゴーストストーリーだった。



11位 ゾンビマックス! 怒りのデス・ゾンビ

2回も「ゾンビ」が入る「頭痛が痛い」系の邦題になってしまい、また低予算ゾンビ映画にありがちな「ダレやすい人間ドラマパート」という難点も継承してしまっているが、ゾンビが燃料になったり主人公の妹がゾンビ操作能力を手に入れたりという新しいヒャッハー感がテンションを上げてくれる。そして、「世紀末の世界を肩パット武装と改造車でひた走りたい」という願望は普遍なのだな……。


12位 グランド・ジョー

近年のニコラス・ケイジ出演作の中ではトップクラスの傑作が、危うくDVDスルーになりかけていたとは。本作のニコさんは、ド田舎で地味な重労働する人生どんづまり男だが、やさぐれ感の中からどうしても人の好さが滲み出るところがイイ味を出している。その人の好さが悲劇にもなり希望にもなる。ただ、車で流してる音楽がEyes Of Noctum=息子さんウェス・ケイジのブラックメタルバンドであるあたり、ぬかりないなと思ったよ。


13位 タイム・トゥ・ラン

すみません。デ・ニーロの名前が2番手に出ていたあたりで、去年の『コードネーム:プリンス』(ブルース・ウィリスの名前が2番手に出ていた)に該当する午後ロー系アクションだと思ってました。でも実際はイイ話でもある骨太なサスペンスでした(ちょっと出来すぎな展開もあるけど)。デ・ニーロもここ最近のB級映画に見られる省エネ演技じゃなかったし(失礼)。


14位 ラバランチュラ 全員出勤!

映画が始まって早々に火山が噴火して巨大タランチュラが現れ、サクサクとパニックが起きていくという実にテンポのいい展開。この脅威にポンコツたちが一丸となって、しかも自分たちの得意分野で立ち向かうのもベタながら気持ちがいい。これで『ポリス・アカデミー』のネタを知っていたらもっと笑えたのかもなぁとも思うが、今B級(というかZ級)モンスターパニックで有名人となったあの人がまさかのカメオ出演という特化すぎるサービスにありつけたからまぁいいか。


15位 スタング

主人公カップルの人間ドラマがわりとどうでもいいのが難点だが、そこは口が悪くて酒好きだけど若者に優しいランス・ヘンリクセン市長、挙動不審のマザコン男クリフトン・コリンズ・Jr.、そして人体を食い破って出てくる巨大殺人バチがいろいろとやってくれましたよ! ランキングからは漏れたけど『シャークトパスvs狼鯨』もあったし、今年の未体験ゾーンはモンスターパニックがアツかった。


16位 ビッグマッチ

『新しき世界』『観相師』と権謀術数を巡らす世界に生きるところばかり観てきたイ・ジョンジェが、人質にとられた兄貴を助けるため、仕掛けられたデスゲームにひたすら拳の直球勝負で挑む総合格闘家に。ゲーム首謀者に指示されて、やけっぱちでパラパラ踊りながらクリスマスソングをがなり立てるジョンジェは見どころ。なお、ゲーム首謀者を演じるシン・ハギュンのハイテンション演技は、だんだん長谷川博己に見えてくるよ。


17位 血まみれスケバンチェーンソー

今年初めて未体験ゾーンに邦画が殴り込みをかけた。そんな記念すべき年の記念すべき作品は、意外と人望の厚いスケバン女子高生が改造チェーンソーで改造死体と化した同級生たちと戦うという実に潔いバカだった! 技術部さんにマシンガンや伸縮機能までつけてもらったチェーンソーは、デザインにリアリティはないがぶん回してみたくなること請け合い。


18位 ザ・ラスト・ウォーリアー

チラシでは『300』や『ヘラクレス』と並べられていたが、どちらかというと『アポカリプト』の系統な土着性と血を感じさせる映画。とにかく、呪われた土地に一人棲む伝説の戦士がスゴい!! たった1人で、巨大しゃもじのような武器を駆使して敵を何人も倒す最強ぶりもさることながら、一目見ただけで「こいつには勝てねぇ……!」と思わせてくれる顔面力の凄まじさたるや!! しかも食人族でもあるなんて……なんてハイスペックなんだぁぁぁぁぁ!!!


19位 ザ・ハロウ

アイルランドの神聖な森に潜むクリーチャー=ハロウが、赤ん坊を狙って夫婦を襲撃する。「夜の森は怖い」という根源的恐怖を思い出させてくれる一本である。ほとんど暗闇で、何かがいてもこれだけ木々が生い茂っていては分からないものな。暗闇だからといって、ハロウを出し惜しみしすぎず襲撃するところはきっちり見せるのがエラい。


20位 口裂け女 in L.A.

口裂け女、こっくりさんなど、日本の都市伝説にまつわる事件がロサンゼルスで勃発。一体なぜ……という謎は置いといて、カフェのメイドが廃墟でこっくりさんしてたり、陰陽師と悪魔神父が路地裏ストリートファイターしたり、真昼間にヤシの木に藁人形打ち込んだりと、トンデモジャパン炸裂! タイトルでインパクトを与えたロサンゼルスの口裂け女の影が薄くなろうとは……。
ちなみに、ヒュートラ渋谷で本作を観てシアターから出てきたとき、カンシチ・ヒロさん(作中で妹ウメコを溺愛する藁人形使いのケンさんを演じた人)ご本人がいらっしゃったことが、一番のホラー体験でした。


…で、申し訳ないけどこちらのランキングも。


未体験ゾーンの映画たち2016ワースト


1位 カリキュレーター


管理社会の惑星で、死の沼地に追放された囚人たちが生存のために進み続けるディストピアSF。だからといって監督を『ベクマンベトフの再来』なんて言うのはまだまだ早いぞ! 真の中2魂を持っているなら、もっとキャラクターの面白さやキメ画に力を入れなさい! しかも各キャラクターともスタンスがブレブレだし。せっかくヴィニー・ジョーンズがいても、悪役としての面白さも活かしきれていないし、セリフもすべてロシア語に吹替えられていていつもの声&訛りじゃないのも残念。褒められた点といえば……メインの女優さんがキレイなのと、シガー・ロスの曲が入ってることくらい?


2位 処刑女

みんなが戸締りしまくっている間に地下室に潜り込んだり、いつの間にか屋根に上ったり、一撃で手や首を切断できる技術&パワーがあり、さらに狭いところを移動する柔軟性にも長けているという、大変高いポテンシャルを持つ処刑女=ブラッド・ウィドウちゃん。しかし彼女をジェイソンやマイケルと並べるには、まだまだ個性と変態性と一貫性が足りなさすぎる。特に、風紀の乱れの温床だったパーティーのバカ者(若者)たちをほぼスルーしてしまったのはイタいぞ。


3位 フルリベンジ

オリジナルの南米映画『Hidden In The Woods』は、近親相姦、売春、殺人……とあらゆるタブーを描いた、救いの余地のない映画だった。それに惚れ込んだマイケル・ビーンがリメイク権を獲得したのだが……なぜタブーのうち「奇形の子ども」と「カニバリズム」を省いた。それだけが原因ではないのだけれども、ヤバさと救いのなさがマイルドになってしまった感がある。たぶん、マイケルは自らが演じるしぶとい鬼畜親父に力を注いだんじゃなかろうか……?


4位 INFINI

逃げ場のない辺境の惑星で謎の寄生生命体に脅かされるクルーたち。生命体は少量の血液からでも媒介・増殖し、寄生された人間は凶暴化する。『遊星からの物体X』×『28日後……』なSFホラーにもなり得たのに、閉塞感も恐怖もサスペンスも中途半端になってしまった。


5位 マーターズ(リメイク版)

難しいところなのだが、リメイクにあたっての改変は完全に否定できるもんじゃないし、むしろ面白いと思っている。むしろオリジナルでやったことをそのままなぞるだけでは意味がないと思うし、オリジナル版で感じた閉塞感とイライラは昇華(消化?)できるだろう。ただ、その発想が「ああアメリカだなぁ」とも思えてしまうし、やはりあの胸糞悪さを経てからの昇天こそ『マーターズ』だろう……という思いも強いのである。


そしておまけ。


ベスト名言賞


1位 「人々は私のせいにしたがるが、私はただの目撃者だ。私が見たものには天使も涙する。私を否定してもいいが、君の目に宿る炎は私だ。君にこの地上の腐った、邪悪な魂をすべて与えよう。君は復讐し、私は彼らの魂を燃やす。正直に言えば、君なしでは凍えそうだ」(デス・ノート)

2位 「まるで映画だ。俺たちは偶然の主人公。監督はデイヴィッド。天国から演出中だ」(バンド・コールド・デス)



ベスト音楽賞


『バンド・コールド・デス』
2013年に本作のプレミア上映会場で行われた"Keep On Knocking"ライブを貼っておきます。
CD『For The Whole World To See』はホントにカッコいいぞ。





ベストビジュアル賞


1位 伝説の戦士(ローレンス・マコアレ)(ザ・ラスト・ウォーリアー)
百聞は一見に如かずということで、お顔を貼っておきます。勝てる気しますか?


2位 鋸村ギーコ(内田理央)
下駄履き&ふんどし着用の女子高生が改造チェーンソーをぶん回した時点で、勝利は約束されているのだ。

3位 最強のタクシー運転手(ジェス・リアウディン)
中の人は元総合格闘家。料金踏み倒す奴は地獄の果てまで追い詰めるぜ!! 的なセガール系かと思ったら、実はセカイ系だったという……。

次点 裸エプロンのおっさん(bella ベラ)
動いて喋ってタバコ吸ってコカインキメる人形のベラ(=主人公)ではない。映画自身が「どっかのクマのパクリ」と言っちゃってる通り、可愛さと毒舌とのギャップはクマの二番煎じだが、変態性において勝るのはさすがラムシュタイン輩出国ドイツ。その代表が、どこに需要があるのか分からないおっさんの裸エプロンショットだった……


ベストタイトルバック賞

ライアー・ハウス
真っ赤なマニキュアを塗るところに始まり、ベーコンを切ったり焼いたり、ミキサーでジュースを作ったりと朝食を作る過程をグロテスクなほどのどアップで撮る。これらのショットがその後起きることを示唆しているのが、ベタながら上手い。


ベスト映画ドリンク

オーストラリアンビール(ブレイキング・ゴッド)
警察も一般人もみんながグビグビ飲んでるから、観賞後思わずビクトリアビター買っちゃったよ。



ベストびっくり映画

スナッチャーズ・フィーバー 喰われた町
あの一番最初の車の「バン!!!」な。1回あれやったら、何度も連発しなくとも、後ろ向いて立ってる人がいるだけで怖くなるから上手い。それから「人の顔をデフォルメすると怖い」っていう怖さの原点に立ち返ってるところもエラい。ただ、短編ホラーを長編に引き伸ばしたとき特有の、始まりと終わりのダラダラ展開はどうしても出ちゃってたね。


秀作から午後ロー的なものまで、今年もいろいろ出会えて楽しかったよ。また来年も会いたいよ。
そしていつもありがとう、チェアマン西澤さん&配給会社さんたち&ヒュートラ渋谷さん!!!

2016年3月21日月曜日

空飛ぶモンティ・パイソン 第2シーズン第10話



フランス映画『フロマージュ・グロン』
訳して『巨大なチーズ』。ゴミ集積所でキャベツを抱える女と自称革命家の男の物語。イギリス人のフランス嫌いネタから生まれた、ヌーヴェルヴァーグ系映画モドキである。
ちなみに個人的には、昔『気狂いピエロ』を観たけど理解できず、ラストの爆発しか覚えていなかったことを思い出させられるスケッチでした。

南極のスコット
フランス映画をバカにした直後、今度はアメリカ映画をターゲットにする。スコット隊長の南極到達(と全滅)の実録をビーチで撮影するという無茶振り。しかし、「無理やりにでも大作映画を撮ろうとして迷走する」ってのは、今やアメリカに限った話じゃなくむしろ日本にも顕著なんじゃないですかね?

サハラのスコット
そして迷走の挙句、スコット隊長の冒険譚は、サハラ砂漠でライオンや電気仕掛けのペンギンと戦うというどこのアサイラム映画だよという話に。正直そっちのほうが観たいんだけど。
ちなみに、第7のパイソンことキャロル・クリーブランドいわく、「パイソンの番組に出演している私にだいたい裸というイメージがついているけど、実際にトップレスになったのはこのとき1回だけ」とのこと。しかも後ろ姿だけ。とはいえ、人喰い机に追われて服が脱げるなんてバカなネタに文字通りひと肌脱いでくれたキャロル、貴女は最高だ。

オープニング
……と、実はここまでの長々と続く映画批評&メイキング話がオープニングだったのですよ。

アンヨと入れ歯のダンス
入れ歯が鍵盤替わりに動いて音楽を奏でるというコンラッド・プー氏のパフォーマンスがギリアニメーションで。コンラッド氏の顔のモデルはテリーGじゃないかと思うのだけれど。

観賞魚の免許
役所の窓口に「観賞魚を飼うことを証明する免許をくれ!」と謎の要求をするこの男(ジョン)、実は第1シーズン第8話「死んだオウム」スケッチで死んだオウムを買わされた男エリック・プラライン氏。犬から猫からいろいろ飼っていて、みんな名前が「エリック」ということが判明する。よほどの動物好きなのか、よほどの自分好きなのか。
無茶なことを言ってるようなプラライン氏だが、いっそ免許制にしたほうがペットの幸せを保障できるのでは……と思うこともあるのが哀しい現実だよ。

ラグビー ~古典的ダービー市議会vsオールブラックス~
言わずと知れたラグビーニュージーランド代表チームと、サッカーの「ダービーマッチ」の名の由来となったダービー市議会がなぜか試合。市議会に至ってはカツラやら装飾をあしらった正装やらで着飾ったまま(しかも市長は高下駄で)フィールドに立ち、まさかの勝利を収めてしまう。
「ニュージーランドなぞ所詮労働者階級の移民で伝統も何もあったもんじゃないわバーカ」という英国上流意識の反映だそうだが、「ハカ」を見ればお分かりの通り、ニュージーランドチームには戦士マオリ族の血が受け継がれているからね。

サッカー ~ボーンマス海水浴場の婦人科医チームvsワトフォードのシルバー船長扮装チーム~
しかしそんなムチャクチャなラグビーゲームも、このサッカーに比べればまだマシに見えてしまうのである。『宝島』に登場するシルバー船長は、肩にオウムを乗せていて、片目は眼帯、片脚は義足で杖をついているのだ。つまりサッカーでは……